単細胞から多細胞へ

 数年前からILP(インテグラル・ライフ・プラクティス)の一環として、インテグラル仲間と交換セッションを行っている。別々のメンバーで月2回。互いの実践領域を活かし、情報交換、意見交換、スキルのシェア、エネルギーワーク、コーチング、シャドウワークなどを行ったり、実験的なワークを試す場となっている。

 

 先週末の交換セッションでは「場を作る」というテーマが浮上した。今回は、クライエント役1名に対し、セラピスト役2名でエネルギーワークをするという試みをしたのだが、1対1のセッションではみられなかった「場」ができあがって、たいへん面白かった。

 

 私たちが実践するエネルギーワークでは、セラピストは一切の意図を持たず、無になり、透明になって、クライエントの内なる叡智(サムシング・グレート)に導かれる。そして、いまクライエントに必要なプロセスを行うためのエネルギーの場が作られる。クライエントはそこで深い瞑想状態に入って安らぎ、静謐な意識の中で自然と個を離れ、深遠なるプロセスが進行する。セラピストはその間、ひたすら場をホールドする。

 

 1対2でこのワークを行った時、面白いことが起こった。セラピスト,蓮▲ライエントだけでなく、セラピスト△魎泙瓩鴇譴魴狙する。この時、セラピスト△諒も、クライエントとセラピスト,里佞燭蠅魎泙瓩鴇譴魴狙するので、入れ子状態になる。そうして、まるで合わせ鏡の中のような場が形成された。セラピスト,皀札薀團好鉢△蘯分がセラピーをやってるのか、受けているのかわからない。3人が3人とも深い瞑想状態に入り、さらに互いを巻き込み合ってエネルギー場が深まっていく。

 

 この日の1回目のセッションでの私のビジョンは「オレンジ段階までは単細胞生物、グリーン段階で多細胞生物になる」というものだった。こんな言葉をきいても、通常であれば「何それ?どういうこと??」となるのが当然だと思うが、セッション後にシェアすると、他のふたりも「わかる、わかる」とうなづいていた。3人ともセッションの「場」の中で、同じような体験を共有していたらしい。

 

 オレンジ段階までの個人は、単細胞生物に象徴されるように、バラバラに、それぞれの意図を持って活動している。オレンジ段階のリーダーは、チームを作って組織で活動しようとするとき、リーダーを頂点としたヒエラルキーを必要とする。メンバーが自身の意志で勝手な動きをすると、リーダーは統率できなくなって困るので、支配-従属関係を維持するための規則やマニュアル、役割分担という枠を設定する。枠が設定されているため、リーダーの求める以上のパフォーマンスを発揮することが難しくなる。

 

 グリーン段階のリーダーは、チームという新しい有機生命体としてのエネルギー場を生み出し、個々のメンバーはその中で同胞となる。そのイメージが多細胞生物。個々人の意図ではなく、ひとつの有機体としての意志によって、メンバーそれぞれが自然と必要な働きをするようになる。ヒエラルキーは必要ない。それぞれがそれぞれの存在に敬意を持ちながら、自然と連携が行われる。その有機体の意図するところは、メンバー全員の意志の総和ではない、まったく新しいものだ。点がつなぎあわされて線になり、さらに面になり、立方体になり、その立方体が点になり・・・というフラクタル構造のループでいえば、立方体が点に変わる、そこのところだ。フラットランドの枠に囚われ、発揮できなかった個々人のすばらしい何かが顕現する可能性が与えられる。

 

 リーダーがそのような有機体としてのチームを生み出す「場」を作るには、サトルボディの発達が欠かせない。サトルボディという目に見えないエネルギーの体で感覚し、情報をやりとりする能力。言葉を介すことなく、エネルギーの体で、他者のエネルギーの体と、その背景にあるエネルギーが交錯しあう世界と、時空を超えてコミュニケーションがなされる。オレンジ段階までのフラットランドの世界では、誰もが再現可能で、客観的なデータとして示すことができるもの(=サイエンス)がすべてで、エネルギーの体などというものは「絵に描いた餅」でしかない。オレンジ段階までをサイエンスの世界とするならば、グリーン段階はアートの世界への移行が起こる段階といえよう。アートの世界では、生命の息吹が吹きこまれるクリエイション(創造)が行われる。  

Shima * 意識 * 09:38 * - * - * pookmark

ブルーな脳みそ

 成人の発達理論によれば、人は死ぬまで発達・成長し続けるが、生まれ持った性格傾向にかかわらず、発達段階ごとに特徴的な思考パターンが見られる。一言に「考える」と言っても、発達段階によってやっていることが全然違う。

 

 数年前、友人の息子が大学に入学して数か月経った頃、大学生活はどうかたずねると「大学はバカばっかりだ」と答えた。なぜそう思うのかきくと、こんな話をしてくれた。

 

 彼はある大きなショッピングモールの飲食店でバイトをしていた。そこには同じ大学のクラスメイトも働いていた。ある日バイトに行くと、レジ前でお客さんが怒っており、クラスメイトがフリーズしていた。間に入って事情をきいてみると、店のルールでは飲食をした客に2時間の駐車券を渡すことになっているが、店が混んでいて待たされたせいで2時間を越えてしまった。それでお客さんは「3時間の駐車券を出して欲しい」と訴えているのだった。彼はクラスメイトに代わってお客に謝罪し、3時間の駐車券を渡したそうだ。客が帰った後、彼はクラスメイトに、こう言った。「3時間の駐車券を出したって、お店に何か損害が出るわけじゃないんだから、さっさと出せばいいじゃないか。そのぐらいのこと、考えればすぐにわかるだろ?」

 

 このクラスメイトはブルー段階(≒段階3 他者依存段階)の特徴を示している。マニュアルに照らして判断することが彼にとっての「考える」で、もしも自分の頭の中のマニュアルにない事態に遭遇した場合は、偉い人や周囲の信頼できる人に判断をあおぐ。自分で判断して責任をひきうけることはしない。関係者それぞれの立場で利害関係を考え、状況を判断して、マニュアルにない妥当な答えを考え出すことがまだ難しい段階にいる。一方、友人の息子の方は、もう一歩進んでオレンジ段階(≒段階4 自己主導段階)に踏み込んでいる様子がうかがえる。

 

 発達段階が高いほど、より多くの要素を「意識の器」に入れて検討し、時間軸・空間も捉えて深く広く物事を考えるようになる。「発達段階が高くなるほど、意識の器が大きくなる」と言われるが、意識の器の大きさ(=広さ×深さ)は、脳の活動領域と活性に比例する。発達段階が高いほど、脳のより多くの領域で神経細胞=ニューロンがネットワークをつくり、発火して活発に働く。発達段階はある程度まで知能の発達と連動していると言われるのは、複雑なニューロンのつながりを脳の中に作る、つまり「脳みその筋肉を鍛える」という脳の基礎体力ができていないと、広い脳領域を一度にシステマティックに働かせることが難しいからだ。

 

 多くの学校で生徒に繰り返し練習させている「考える」は正答がある問いに対して、決まりきった妥当な答えを返すものばかりだ。教科書に書かれたマニュアルを頭に入れて「こういう問いが来たら、このマニュアルを使って答えを出す」ということをやるだけで済んでしまう。むしろ、自分独自の独創的答えを書いたら、ペケをもらう可能性が高い。マニュアルに沿った思考ばかり延々と繰り返されたら、ニューロンはシンプルなネットワークしか構築しない。他のニューロンネットワークは「使用頻度が低いから要らない」と判断され、刈り込まれてしまう。そうすると、複雑な思考ができない、シンプルな脳みそになる。複雑な思考に対応できる脳をビルドアップする努力を別途行わなければ、ブルー段階を超えてオレンジ段階に進むことは難しい。

 

 社会人の「考える」は、マニュアルに沿って検討するだけではすまない。正答が存在しない問いに答えなければならない場面も多々ある。マニュアル通りにいかないものに対してどれだけ対応できるか、これまでにない画期的な答えをひねり出して突破口を作ることができるかどうかが評価される。だから、オレンジ段階に進まなければならないのだが、脳の中に新しいニューロンネットワークが構築されるまで、毎日毎日脳に刺激を与え続けることはそう簡単ではない。そのため、「考える」ことを外注し、専門家や信頼できる誰かに判断を任せる人も出てくる。職業人の多くはブルー段階にとどまり、オレンジ段階に進んで複雑な思考ができるようになる人は2〜3割程度しかいないらしい。

 

 複雑な思考が可能な脳を作るためには、日々、脳みその筋トレを続け、ニューロンの複雑なつながりを構築することが必要となる。週末に高いお金を払ってセミナーを受けたところで、脳が急成長するはずもない。セミナーで学んで、新しいマニュアルをインプットすれば万事解決すると信じていること自体、マニュアル礼賛のブルーな脳みそになっている可能性が高い。

Shima * 意識 * 16:50 * - * - * pookmark

シャドウ

 インテグラル理論に基づくILP(インテグラル・ライフ・プラクティス)では、ボディ・マインド・スピリット・シャドウの各領域にまんべんなく取り組むことを推奨する。シャドウとは、本人の意識に上がらない抑圧された欲求のこと。子どもの頃、親や先生や周囲の人達に、ありのままの自分を受け入れてもらえず、充分な愛情を与えられなかったりすると、シャドウが生じる。シャドウに操られている人はシャドウの存在に気づけないが、いつも満たされない想いにさいなまれ続ける。

 

  さて、ここからは私独自の勝手な説。シャドウは英語で影。影ができるには、光がある。では、その光とは何か?

 

 

 光は、Spirit領域のTrue self の輝きである。ありのままの自分では受け入れてもらえないと感じると、人は世間様から受け入れてもらえる偽物の自分、Fake self(=ペルソナ)をMind領域に作り出す。ペルソナ(仮面)をかぶって、本物の自分を覆い隠すことで、社会に適応していく。シャドウはペルソナによって生じる影。ペルソナによってSpiritの光が遮られ、Spiritから切り離されることで、シャドウはひとり歩きを始める。

 

 シャドウは「ありのままでは、この世界に受け入れてもらえない。みんなからすばらしいと認めてもらえる理想の人間にならなければ、生きている価値がない。」と言ってその人を急き立てる。そうすると、何事もなく穏やかでいて良い日常が、自分の存在意義を世界に示すための命がけのサバイバルになってしまう。シャドウは人をプッシュし続けるので、強力なモチベーションの源ともなり得る。強力なシャドウに追い立てられ続けた結果、天才と呼ばれるところまで上り詰めた人も多い。

 

 完璧な人間、誰からも愛され、認められ、受け入れられるすばらしい人間。自分の内側に源を持つ本来の自分らしい自分を生きるのではなく、外から与えられる理想の自分を生きようと努力を続けても、いつか破綻する。人は自分以外にはなれない。自分以外になったら、自分の人生を生きているとは言えない。世間様からすばらしいと言われるようになったとしても、シャドウは消えないので、もっともっとと追い立てられ続け、シャドウの闇の中、無間地獄が続く。

 

 光と影はセットで本来ひとつながりのもの。シャドウはTrue selfの光とつなげて解消するのが良い。本来、シャドウとTrue selfがめざすところは同じで、「ありのままの自分をこの世界で光り輝かせて自分らしく生きて行くこと」。シャドウは、ありのままの自分を世間様に受け入れてもらうのベースづくりを必死にやっているつもりなのだ。

 

 シャドウがTrue selfの魂の光とつながると、それまでシャドウによるごり押し(Push)で生きていたのが、True selfからの招請(Pull)で生きられるようになる。肩の力が抜け、リラックスして自分本来の人生を歩めるようになる。自己実現に向かう前には、まずシャドウから自由になる必要がある。

Shima * シャドウ * 15:16 * - * - * pookmark

BodyとMindの癒着

 発達初期の状態では、Body(肉体)が人を支配している。Bodyからの欲求とそこから生じる感情がMind(意識)を乗っ取っているため、その場の気持ちで物事を決めてしまう。必要な情報を集め、論理的に考えて冷静な判断をすることができない。

 次の段階に進むと、今度は主従関係が逆転して、MindがBodyを隷属化する。身体的な欲求や感情的なものは抑え込まれ、Mindが良いと判断したことに猛進する。この段階では、身体からのメッセージを無視するため、体を壊すまで働くようなことが起こりやすい。

 BodyとMindが癒着していると、Spiritはそれぞれとつながることができず、下図のように遊離した状態になってしまう。

 

 

 BodyとMindの癒着、支配-従属関係が解除され、それぞれが独立して、それぞれを敬意を持って敬うようになると、Spirit(魂)があらわれ、Body・Mindそれぞれとつながって、三位一体のゴールデントライアングルを形成する方向へと進んでいく。

 

 

 Spiritは万物を司る自然の理であり、宇宙のすべてを統べる叡智であり、根源なるエネルギーでもある。それは内なる神であり、真我とも呼ばれる。癒着したBody&Mindの状態では、自分の内なる神とつながれないため、外の世界に神なる者、自分をしあわせに導いてくれるものを探し求める。自分をしあわせにしてくれる何か・・・それは宗教である場合もあるし、カリスマ的な誰かであったり、お金であったり、モノであったり、何かの理論だったり、スキルだったりする。そこから自分をしあわせにしてくれるマニュアルを得て、それを人生の指針として生きて行く。しかし、自分の外側の何かに従って生きたら、本来の自分の在り方から離れた人生にしかならない。自分自身のSpiritの導きなしで生きるとき、人は人生に違和感を生じ、心の渇きを感じる。

Shima * 発達・成長 * 10:39 * - * - * pookmark

 TV番組で、あるお笑い芸人さんの行動を密かに撮影するというのをやっていた。そこで発覚したのは、その芸人さんは、スポーツクラブの前に行って自撮した画像をSNSにアップし、定期的に運動してますというアピールをしているが、実際には写真を撮るだけで、何もしていなかったということだった。芸人さんに限らず、他者から良い評価をもらうことが大事になっている人は多い。自分がさも素敵な生活を送っている「リア充」ってあるかのようにSNS上の自分を「盛っている」人がいかに多いことか。

 

 学生時代、学校ではテストの点数が評価基準となっている。テストで良い点を取る子は良い子ども、テストで悪い点を取る子どもは悪い子ども。本来、テストはその科目に関する知識や理解度・応用力・技術力などのレベルがどの程度なのか客観的データをとって、その後の学習計画を立てるために用いるはずのもので、子どもの人としての価値を示すものではない。しかし、世間的には、テストの点数が人間としてのその子の価値であるかのように思われてしまっている。テストで良い点数を取れないなら、代わりにスポーツや芸術関係で何か素晴らしい功績をあげるなどして良いところを見せなければならない。他人様から存在価値を認めてもらえるような何かがなければ生きている資格がないというプレッシャーの中でみんなもがいている。

 

 そうやって育つと、社会からどのような評価を受けるか、他者からどう思われるかが大事になって、そこを自分の軸に据えてしまうようになる。他者から良い評価をもらうこと、他者を喜ばせることに自分の時間とエネルギーを注ぐようになる。しかし、いくら他人を満足させるためにしゃかりきになってがんばったところで、いつまで経っても自分は満たされない。そもそも自分の満足のために、自分を満たすためにエネルギーと時間とお金を使ってないんだから、自己充実していくはずがない。その空虚さを紛らわすために、SNSで素敵な自分アピールをして、他人様から「いいね!」の評価をたくさんもらって安心しようとする。

 

 意識の発達段階が上がれば上がるほど、自己中心性は減少していく。しかし、自己中心性が低くなればなるほど、自分の軸はしっかりと揺らがなくなっていく。そして、グリーンの段階に進んだとき、自分を評価する基準が、他者評価から、自己評価に大きく転換する。他人がどう思うか、社会的評価はオマケでしかなく、自分が納得するかどうか、自分が満足するかどうかが基準となる。評価を下すのは、自分の内なる神、真我である。オレンジ段階までの自我はバウムクーヘンのように幾重にもエゴに覆われているが、そこからエゴがどんどんはぎとられ、中心軸の真我が輝き始めるのがグリーンの段階だ。物質主義的な世界で生きていくにあたり、ある程度の他者とバランスする必要があるから、そつなく「いいね!」をもらうこともするが、そこが目的にはならない。

Shima * Life * 18:30 * - * - * pookmark

Body領域の実践

 インテグラル理論では、意識の成長においてBody・Mind・Spirit・Shadowの各領域においてまんべんなく日常的に実践をするというIntegural Life Practice (ILP)が推奨されている。その時の自身の状態と環境といま取り組むべきテーマに合わせた実践を毎日毎日少しずつ積み重ねていく。それは鉢植えの植物を育てるようなイメージだ。毎日適切な量の水を与え、必要な手入れや世話をする。たまの休みにだけ水をドバドバかけて、思いついた時にだけ肥料をどっさりやったりしていたら、育つどころか枯れてしまう。

 

 危ないのは、自分の得意なことや好きなことばかりに偏った実践をして、本当に取り組まなければならないことに手をつけないケース。本人は充実した実践を続けているつもりでも、同じところを堂々めぐりしているだけだったりして、実にもったいない。時々専門家にチェックしてもらい、フィードバックを元に今の自分に必要な取り組みにアップデートすることが重要だ。

 

 Body領域の実践というと、筋トレしたり、ジョギングをしたり、ヨガをしたり、武道にチャレンジしたり、とにかく運動して体を鍛えればいいと思っている人が多いようだが、私は中枢神経系がゴキゲンで調子よく働いてくれる体を維持することが大事と考えている。中枢神経系は意識の座であり、ここがうまく働いてくれないことには、意識の成長などまったくもって望めない。縦方向の発達段階が上がると、意識の器が大きくなり、考慮に入れられる要素が増え、さまざまな視点を持って物事を吟味することができるようになる。これを脳の活動としてとらえた場合、感覚器から送られた大量の情報が、より広い脳領域で活発なニューロンの発火を起こし、統合的思考活動が行われるということだ。脳というのは大量にエネルギーを喰う臓器なので、省エネのため、使われない脳領域のニューロンは刈り込まれてしまう。もちろんある程度の年齢を過ぎたら、加齢によって減っていく分もある。いつも同じような思考パターンで生活をして、同じ脳領域しか使わなかったら、使える脳領域は拡張していかない。それでは意識の器を大きくできるはずがないだろう。

 

 ヒトの脳は、内側から順に脳幹(爬虫類脳)、大脳辺縁系(哺乳類脳)、大脳新皮質(霊長類脳)の3層になっている。内側に行くほど原始的で、外側に行くほど進化した脳といえる。脳幹は生命維持、大脳辺縁系は情動、大脳新皮質は思考を司る。いわゆる意識はほぼほぼ大脳新皮質の活動と言ってよいだろう。身体にとって何よりも優先されることは生命維持であるため、身体が何らかの危険を感知すると、より本能的な内側の脳が制御権を奪ってしまう。そうなると、意識によって自分の言動を選択・決定し、統制していくことができなくなる。

 

 注意しなければならないのは、大脳新皮質の部分で論理的に考えて危険と判断する事と、本能的な内側の脳が反応して危険と判断する事が、必ずしも同じでないということだ。例えば、子どもの頃に犬に噛まれた経験のあるマッチョな大男が、人なつこいかわいい子犬を怖がってフリーズしてしまうような場面。身体に刻まれたトラウマが危険信号を発するので、意識上で「危険性は低い」とわかっていても、身体が言うことをきいてくれない。暑さ、寒さ、空腹、におい、音、視覚的刺激などなど、身体が勝手に危険と判断して反応してしまうものはたくさんある。毎日たらふく食べていても、何かのひとつ栄養素に不足が生じていたら、身体は「飢餓で十分な栄養が得られない」と判断するかもしれない。きつい下着や靴を履いていると、身体は「拷問を受けている」と捉えるかもしれない。怪獣映画のCMを目にしただけで、身体は「恐ろしい怪獣がうろついている場所にいる」と思うかもしれない。

 

 大脳新皮質が制御権を握る、つまり、意識によるコントロールが可能な状態を維持するには、身体が危険と判断するようなストレスを極力減らす工夫が必要だ。自分の身体がどんな刺激に対して「危険」という判断を下しやすいか、自分の反応を日々観察しながら、自身についての取り扱い説明書を作っていく。そういうことをBody領域の実践としてやっている人をあまり見かけない。

 

 一番ややこしいのは、基本的信頼にかかる部分だ。基本的信頼は、自分の力だけで生きていくことができない乳幼児期に育まれる。周囲の人達が自分を受け入れ、抱きしめ、愛して、必要なすべてを与え、求めに応じてくれる安心感を体験をすることができれば、基本的信頼感が健全に形成される。それは、一生ものの「世界への信頼」や「自己肯定感」へとつながって、大人になっても「根拠のない大丈夫感」が持てるようになる。逆にうまくいかないと、世界は危険に満ちたものとなり、不信感は、成長・発達途上の原始的な脳に刻みつけられてしまう。そうして大人になっても「得体の知れない不安感」がいつも付きまとい、ちょっとしたことでも危険を感じて反応する体になる。言語は大脳新皮質の領域で用いられるものなので、言語を持たない乳幼児期に原始的な脳に焼きついたものにアプローチをかけるのは難しい。私がワークに取り入れているクラニオ・セイクラル・バイオダイナミクスなど、中枢神経系全体にアプローチできるボディワークで、自分の身体と対話してみるのもBody領域の実践として有効と思う。

Shima * 身体 * 18:12 * - * - * pookmark

内なる神

 マズローの欲求段階説によると、生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、尊厳欲求などの欠乏欲求が満たされた時、やっと自己実現欲求が出てくるという。

 

 先日、友達の薦めで某新興宗教団体のドキュメンタリーを観た。教団幹部が自治体の乗っ取りを図って事件を起こし、教祖が国外追放の憂き目にあう話。不思議に思ったのは、教団のコミュニティ内で、信者の欠乏欲求は十分に満たされていたはずなのに、自己実現の段階に進み、悟りを得た人の話がひとつも出てこなかったことだ。宗教団体というのは、スピリチュアリティを成長させることを目的とする集団だろう。教義はかなりのインテリ層も入信させるくらいきちんとしたものだったようだし、無二元の意識に至ることを目的とした実践が推奨され、日々瞑想修行も行われていたらしい。教団が壊滅したのは性質の悪い幹部が権力闘争に夢中になってしまったせいだったが、なぜそんな低俗な欲に囚われることになってしまったのか?

 

 高次の意識に向かうプロセスで、人はいくつか大きな価値観の転換を通過することになる。そのひとつが、外側の神から内側の神への転換だ。自分の内なる神(仏、サムシング・グレート、源)とつながり、導かれ、真理を探究するようになる。答えは外の世界から得るものではなく、自分の内から創り出す、あるいは顕現するものになる。世界は自分の内側が反映したものに他ならず、自分がこの世界に色をつけ、形を与えている創造主に他ならないことを実感する。何者かから与えられた世界に受動的に生かされているのではなく、自分が創ったこの世界を能動的に生きる。ところが、教団では教祖様という絶対的な神が外側にいる。そのせいで、この転換ができなかったのではないだろうか。

 

 危ない宗教団体による事件がひんぱんに起こると、「宗教=危ない」という思い込みができあがり、人は信仰に関わるすべてから目を背けるようになってしまう。結果的に自分自身のFaith(信仰)の発達(=内なる神とつながるための成長)が手つかずのまま置き去りにされる。自分の中に真実を指し示してくれる絶対神が育っていなければ、何が本当なのか判断することができず、外の怪しげなものにやすやすと惑わされてしまう。自分の中に神がいないとなると、スピリチュアリティに関わる問題が浮上したとき、答えを外注せざるを得なくなる。答えをくれる誰かが必要となるが、宗教家は危ないからと避けられて、自称スピリチュアルの霊能力者や占い師に頼ったり、本来カテゴリーエラーのはずの学者などに答えを求め、さらに混乱してしまったりする。本当に必要なのは、答えを与えてくれる依存相手を誰にするかではなく、自分のスピリチュアリティを成長させ自立することで、外の神など必要なくなることだ。

Shima * 源・サムシンググレート * 16:23 * - * - * pookmark

具体と抽象

 心理学の授業では多くの理論とそれに基づいた技法を習い、トレーニングを受ける。下記の図のように個別の事例に共通すると考えられる特徴を抽出して仮説をたて、それを妥当性・信頼性の高い方法を用いて検証し、まとめて体系化することで理論ができあがっていく。

 

 

 このようにして具体的な事例から、抽象的な理論が作られるわけだが、理論を現場で実際に使うセラピストは、いったん上から下へ、抽象から具体へと降りて、自分の経験してきた事例を用いて再度理論を組み立て直すプロセスを経る。そうして上下の動き、具体と抽象、様々な理論と個別の事例を自由に行き来でき、柔軟に臨機応変に対応できるようにトレーニングを積み重ね、一人前の実践家になっていく。理論だけ知識として頭に入っていて、現実の事例への対応がイマイチな人は「理論屋」と呼ばれたりする。

 

 ここで問題となるのは、セラピスト自身の発達段階だ。オレンジ(段階4)以上の段階にならなければ上記のような操作はできない。それ以下の段階では上下の動きはなく、与えられたマニュアルに沿って技法を適用することになる。段階が低ければ低いほど、詳細なマニュアルが必要となる。

 

 また理論によっては高いレベルの発達段階にいなければわからない(身体化できない)レベルの内容を含むものがある。上下運動をしようとしても、上の到達レベルが高すぎて、セラピスト自身の高さが足りず届かない。自分の身の丈を知っていることは重要と思う。

Shima * セラピスト * 18:55 * - * - * pookmark

祝福

 今年最初の師匠との交換セッションでエネルギーワークを受けている時、この世で生きることを「祝福」されるということがどれほど大切か、体験的にわかった。祝福を受けることで、自分がこの世界に受け入れられ、抱かれていること、ただ生きているだけですばらしい価値ある存在であることに折り紙をつけてもらえる。西欧では、折に触れて儀式的に「祝福」をするが、自分自身の存在が揺らがないための土台を築くためにとても重要と思う。

 

 発達段階が上がる縦方向の成長では、古い自分の在り方をいったん死なせて、新しいゼロの自分に生まれ変わるプロセスを経る。はじめて足を踏み入れる未知の段階の世界で、何もできない何もわからない赤ん坊のような状態からスタートしなければならないというのはとても恐ろしいことだ。そこを越えていくために必要なのは、自分はいかにあろうとも常に世界から祝福され、受け入れられ、愛を与えられる存在であるという揺るぎない安心感だろう。これまで築き上げてきた自分でなければ世界は受け入れてくれないと信じていたら、ゼロになるプロセスに踏み込んでいくことはできない。

 

 大昔に受けたインテグラル・コーチングのメモにFaith(=信仰、信頼、自信)について書かれていた。

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James Fowler 'Stages of Faith'

 Faith:自分が生まれてきたことは祝福されている

     愛情に満たされた感覚

     信頼されている&信頼できる

Faithは宗教・文化を超越した生きる原動力でこれがないと生きていけない。Faithが破壊されていると世界を斜に見て破壊さえいとわないようになる。

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あの時、師匠が言っていたFaithの意味を遅ればせながらやっと理解した次第。人と人とのあらゆるコミュニケーションやヒーリングなど、祝福をベースにできたら素晴らしいと思う。

Shima * Life * 09:43 * - * - * pookmark

タンポポはタンポポらしく

 「ありのまま」とか「自分らしく」とかいうと、現状維持で何も変わらなくて良しということだと考える人がいるがそれは違う。「ありのまま」とか「自分らしく」というのは、「自分がタンポポなら、タンポポらしく成長して、タンポポとしての美を輝かせて生きていけ」ということだ。世間でバラがもてはやされ、高く売れるからといって、自分はタンポポなのに、偽物のバラになろうとするのは意味がない。ありのまま、そのままの未熟な自分を受け入れてくれる人や場所を探し、そこで何の努力も成長もせずにのんべんだらりと一生過ごせば良いという話でもない。自分のありのままとしっかり向き合った上で、そこから自分らしい素敵な未来の自分に向かって歩いて行きましょうということだ。自分は自分にしかなれない。自分以外の者にはなれない。自分が何者かをよく知るところから始めないといけない。

 

 「自分がちっぽけなタンポポであることを認めたくない」「これまで高級なバラになるためにつぎ込んできたお金と時間と努力が無駄になる」などなど、いろいろな理由で、自分の本来の在り様を認められない人がいる。生まれつきバラな人が苦労もなく立派なバラの花を咲かせているのをみると、そうではない自分への嫌悪感が強くなり、親を呪い、自分を呪い、世間を呪い、ますますありのままの自分と向き合おうとしなくなる。バラにはない良さが自分に備わっていても、そこに目を向けようとはしない。「あなたはバラだ」と言ってくれる嘘つきにホイホイついていき、「あなたはバラではない」と言う正直者を遠ざける。世間から認められ、ちやほやされる偽物の自分になっても、本物の自分は成長できないまま置き去りにされているから、空しさが消えない。心の渇きにさいなまれる。自分自身を偽り薄っぺらな虚構の世界を生きても、心が満たされることはない。

Shima * Life * 09:29 * - * - * pookmark
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