エネルギーバランス

丹田は生体内のエネルギーを配分するエネルギーセンターで以下の3つがある。

 下丹田: 生命力や闘争のエネルギーを司る(へそのちょい下)

 中丹田: 楽しさや愛のエネルギーを司る(ハート)

 上丹田: 叡智のエネルギーを司る(眉間)

 

 例えば、試験勉強するときは上丹田:中丹田:丹田のバランスが85:5:10、デートのときは10:70:20、温泉でゆっくり休むときは5:45:50・・・というように、各丹田の出力を調整して、エネルギーをその時その時の状況に合わせて最適化する必要がある。

 

 ところが、この切り替えがうまくできず、1年365日、会社に行っても家にいても同じエネルギーバランスで過ごしてしまう人が意外と多い。例えば、会社でライバルと戦っているエネルギー状態で家に帰り、そのままエネルギーの切り替えができないと、家族に対しても攻撃的になってしまったり、過剰なセックスに走ったり、攻撃が自分に向かってアレルギー症状が出てしまったり、ゆっくり休めなかったりといったことが起こってくる。日本でサラリーマンをしていると、どうしても闘争のエネルギーが強くなってしまう傾向があるようだ。仕事終わりとともに、すぐにエネルギーを切り替えて家路につける人がどれくらいいるだろうか。切り替えに時間がかかるために、どこかで一杯やったり、コンビニや本屋で移行時間を取らないではいられない人も多いのではないだろうか。

 

 私は基本的に「すべてクライエントの中の叡智にお任せして、そこで起こるべきことが起こる場を保持するだけ」というスタンスでセッションをしているが、エネルギー状態の切り替えについては、ここ1か月くらいもれなく全員にエネルギーの自動調整がなされるよう設定をするようになった。その場に応じてパッパパッパと最適なバランスに切り替えができると、作業効率が非常に上がる。マルチタスクでの負担はここの部分に由来する所が多いだろうし、ちゃっちゃと切り替えて片づけることができれば「あとでやろう」と先送りする必要がなくなる。設定したクライエントさんたちからは、仕事がしやすくなったとの報告が届いている。

 

 ただ、切り替えが簡単になっても、エネルギーの総量、滞り箇所、質の向上などの問題については別途改善する必要があるので、そっちの方はけっこう時間をかけてやらないとダメな場合も多い。

Shima * エネルギー * 18:36 * - * - * pookmark

自由の時代

 身体の無意識の緊張を解消すると、自然に良い姿勢になる。「良い姿勢にしなさい」と言われて、意識して良い姿勢にしようとする場合、無意識に緊張しているところはそのままで、逆方向に筋肉を緊張させてひっぱることになるため、結果的に緊張している部分が増えてしまう。もし、その緊張が気にならなくなって定着するまで続けたら、緊張が固定して身体は柔軟性を失う。そのうちにどこかに痛みが出てくる。力づくで理想的な身体の形にもっていくバキボキ系の整体なんかも同じこと。大事なのは、心身の呪縛を解消して自由にしてやることだ。それによってクライエントは自己治癒力を回復し、自分を整えて成長していく。

 

 むかし「巨人の星」というスポ根アニメが流行った。親の期待に沿い、我慢して苦労して努力して、社会から認められるヒーローになっていく物語。主人公は、世間様が良しとするすばらしい何者かになるために、自分の限界と戦う。

 

 いまは「ワンピース」という海賊アニメが流行っている。自分のありのままを生かし、社会的制約など気にせず、自由に生きることを貫く物語。主人公は、自分らしく生きて夢をかなえるために、自分を支配したりコントロールしようとする外の者と戦う。

 

 私がエネルギーワークのベースに使っているCraniosacral Biodynamics Therapyで、セラピストはクライエントの内より立ち上がるSomething Greatにすべてをゆだね、その手先となって場を保持する。クライエントの内なる叡智が自由に「いまここで起こるべきことを成す」のを見守るだけだ。このアプローチは過去の呪縛を解き放ち、この新しい自由の時代を生きようとする者にとって最適だと思う。逆をいうと、古い時代のやり方がお好きな方には向いてないってことになるけどw

 

Shima * Life * 18:50 * - * - * pookmark

身体化

 いくつもの具体的な体験から共通するものが抽出されて概念が形成され、そこから理論ができあがる。本屋には先達によるさまざまな理論の本が並んでいるし、最新の理論は論文として公開されている。知識としてそれらを取り込むのは簡単だ。しかし、それを日常での実践につなげて活用できるようになるのはなかなか難しい。

 

 理論から日常的な体験へ、抽象 ⇒ 具体という逆方向のプロセスをたどるとき、「腑におちる」体験が必要になる。情報を伝達する脳神経系と身体感覚がつながって「ああ、こういうことか」とわかること。頭で理解しているだけでなく、身体で感じて応じることができる、すなわち知識が身体化されている必要がある。

 

 脳神経系の活性化や身体感覚の鋭敏化が充分になされていないと、身体でそれを再現することが難しい理論もある。不適切な認知によって妨害を受ける場合もある。意識の発達支援をなさっている方や、コーチングをなさっている方たちが、いま盛んにボディ方面からのアプローチを併用するようになってきているのは、そこの部分なのだろう。頭と身体をつなぐところをサポートすることで、具体化を推進して実践へとつなげる。

Shima * 身体 * 10:25 * - * - * pookmark

なりたいものになっていく

 ここ最近のクライアントさんたちを見ていてよく思うのは「人はみんななりたいものになっていくものだなぁ」ということ。時期がくれば放っておいても自然と花が咲くように、なりたいものへと変容していく。

 

 自分がどうなりたいのか、明確なビジョンを持っているということは、ブレずに自分らしく生きていくために大切だと思う。物事を極めるにはだいたい1万時間かかると言われている。日々の生活を維持しつつ、1万時間も投入しようとすれば、どうしたって10年はかかる。10年後、自分がどうなっていたいのか、そこのところをハッキリさせて、今から種を蒔いておいた方がいいだろう。

 

 レストランに入っても注文をしなければ何も出てこない。そんなの当たり前。なのに、人生に関しては、具体的なオーダーを出さずに「何かいいことがあるといいな〜」みたいに漠然と考えてるだけの人が意外に多い。レストランに入って「お腹空いてるし、何か美味しいものが食べたいな〜」と思っているだけでは何も出てこない。店員さんを呼んで「五目焼きそばと春巻きを下さい」とかハッキリ口に出して言わないと! 

 

 同じ場所に居て、同じ事をしていても、それぞれ自分の中に取り入れるものが違う。無意識に情報を取捨選択し、自分が焦点化している事に関するものが集まってくる。そこのところを明確に意識し、周りにも宣言しておく。「オーダーを出しておく」というのはそういうことだ。それによって、さらに多くの情報が自分の下に運ばれてくることになる。現代において情報は力となる。必要な人間関係もつながっていく。

 

 人が進化・成長するときには、challengeとwillとsupportの3つが必要と言われている。challengeは何としても乗り越えなければならない試練が与えられている状況。willは何としても自分をバージョンアップさせたいという強い意志。supportはその人の変容を支え助ける周囲の人々や家族、セラピスト、コーチ、リソース、環境など。この3つがパチッとそろった瞬間に花が咲きはじめる。

 

 「supportなんかいらない、自分の努力だけで何とかする」とがんばる人もいるが、人は無意識に「変わらないためだったら何でもする」くらいの勢いで、変わらないことを選んでしまう。古い自分を死なせて、新しい自分に生まれ変わるという変容のプロセスに身を投じることは大変な恐怖である。無意識にそこを回避して、本来進むべき成長の道とは見当違いの方向で努力を続け、エネルギーと時間を費やすことで安心してしまう人も多い。だからこそ、いまの自分の状態を客観的にみてフィードバックしてくれる鏡となる第三者のsupportは必須となる。

Shima * Life * 10:35 * - * - * pookmark

目的と手段

 目的と手段を混同しないこと。

 

 十代の頃、国連英検A級の試験を受けたことがあった。筆記はパスしたが、面接で一度落ちた。国連英検A級の面接試験では、自分の専門分野について面接官に語る必要がある。すなわち、スキルとしての英語を使いこなす能力だけではなく、それを通じて自分が何を世界に発信したいのかを問われるのだ。その時、自分の中に語るべきものがないことにショックを受けると同時に、英語はひとつの手段であって、目的ではないことを思い知らされた。英語のスキルがどんなに上達したところで、中身が空っぽでは意味がない。大事なのは中身の方だ。

 

 新しいスキルを身に着けようとするとき、いったんはそのスキルを身に着けることが目的となるステージを通過する。しかし、そのまま手段を目的にすえてしまってはいけない。例えば、スポーツは心身の健康を維持し、よりよく生きるための手段のひとつである。ところが夢中になりすぎると、スポーツ自体が目的に替わってしまうことがある。そうなると、充分な休息をとらず、身体が壊れて動かなくなるまで酷使したり、精神のバランスを崩すほど強いストレス状態に身を置き続けて、一生消えないトラウマを背負いこんだりするようなことが起こる。心身の健康の維持が目的であれば、十分な休息をとるとか、栄養たっぷりの食事をとるとか、身体を冷やさないようケアするとか、健康増進のための他の手段にも目が行くが、スポーツ自体が目的になってしまうと他のことには目もくれなくなってしまう。

 

 勉強とか、お金とか、素敵な家とか・・・・本来は人生を深めてよりよく生きるための手段であったものが目的と化してしまって、人生を狂わせている例には枚挙にいとまがない。もっと言えば、「悟り」すらも、手段でしかない。手段を目的にすえて生きると、本末転倒になってしまう。

Shima * Life * 16:18 * - * - * pookmark

ファーザースカイとマザーアース

 天から地へ、地から天へ。下降するエネルギーと上昇するエネルギーのふたつが人の身体の中を通っている。ファーザースカイの天のエネルギーは頭頂の第7チャクラから入って、第6(眉間)、第5(のど)、第4(ハート)、第3(太陽神経叢)、第2(へそ)の各チャクラ(エネルギーセンター)にエネルギーを与えながら下降し、最後には会陰の第1チャクラから出て地球の中心へと降りていく。マザーアースの地のエネルギーは第1チャクラから入り、第2、第3、第4、第5、第6チャクラにエネルギーを与えながら上昇して、最終的に第7チャクラから天へと昇る。

 

 第4チャクラ=ハートチャクラは上から数えて4番目、下から数えても4番目。ここでファーザースカイのエネルギーとマザーアースのエネルギー、すなわち天と地がバランスし、父性と母性(男性性と女性性)が交わり、無条件の愛が生まれる。

 

 第1チャクラは1次元、第2チャクラは2次元、第3チャクラは3次元というように各チャクラは次元に対応している。1・3・5・7の奇数の次元は形のある世界。2・4・6の偶数の次元は形のない世界。ついでにいうと、オーラ層も各チャクラに対応するため、奇数層は形がハッキリしており、偶数層は形がなくて奇数層間の隙間を埋めている感じになる。人はいろいろな次元へと何度も転生を繰り返すが、各次元でのメインテーマは、その次元に対応するチャクラのひとつ上のチャクラが統括するエネルギーをバランスすることとなる。つまり、3次元の地球世界に生まれた者たちのテーマは、第4チャクラのハートセンターを開き、無条件の愛を体得することにある。

 

 一生懸命に自分育てをしている人は上昇のエネルギーが強い。上昇のエネルギーは個人の3つのボディ(グロス・サトル・コーザル)の発達と関係している。グロスボディ(肉体)は地に属し、それを土台にしてサトルボディ、コーザルボディが発達していく。下降のエネルギーは、天からの恩恵を受容するもの。「発達は自身の努力によって成されるもの」という意識が強すぎて受け取ることが苦手な人は、下降のエネルギーを受け入れられず、結果的に両極をバランスさせることが難しくなってしまう。

Shima * エネルギー * 10:58 * - * - * pookmark

自然の恵み

 自分自身で食物を採って(獲って)食べる体験を充分にしているかどうかが、潜在意識レベルで、生き方に大きな影響を与えているのではないかと思う。採取活動を充分にしていると、食物が自然の恵みであることを身体が覚える。食物と自然が無意識のレベルでつながる。食物という生命を維持するのに欠かせないものが自然とつながっている場合、自分を取り巻く自然環境が安定して存在している限り、身体は生命の危機を感じない。

 

 しかし、その経験がない場合、食物はお金によってもたらされるものとなる。食物とお金が無意識のレベルでつながっているから、お金がない、お金が稼げない、お金が使えないなどの状況になると、それがそのまま生命の危機につながってパニックに陥ってしまう。お金と自分の生命が無意識のレベルでがっちりつながっていると、貨幣経済の、フラットランドの檻から抜け出ることが難しくなる。自分ではお金に縛られていないつもり、自由であるつもりでいても、潜在意識レベルでは生命の危機とつながったお金を切り離すことができない。

 

 山菜採り、栗拾い、芋ほり、潮干狩り、魚釣りなどをして、自分で調理して食べるという原始的な人間が日常的にやっていたような経験をできるだけたくさんする事が、お金に囚われた自分を解放するために必須なのではないかという気がする。

Shima * Life * 17:59 * - * - * pookmark

ホリスティックなセラピスト

 私はホリスティックなセラピストというのは「たし算」ではなく、「かけ算」だと考えている。Body・Mind・Spirit(+Shadow)、それぞれについて1人前のプロとしてサポートを提供できるだけの知識と技術と経験と人間性を備えている必要がある。例えばBody0.9、Mind1.1、Spirit0.8だったら、かけ算すると0.792で、ホリスティックなセラピストとしては1人前(1.0)ではないということになる。

 

 大抵の人は足し算してしまうが、ホリスティックなセラピストを標榜するということは、セッションでクライアントがどの領域に踏み込んでもしっかりサポートしますよと保証することなのだ。Body・Mind・Spirit、各領域のワークを連動させ、循環させながら深めていく中で、それぞれバラバラに部分部分でワークしていたのでは見えてこないものがたちあらわれてくる。ワークが特定の領域に踏み込んだ途端、セラピストの対応がアマチュアレベルに失速してしまうようではセラピーがつながっていかない。それだったら、セラピストが確実に対応できる領域に限定して、専門のセラピストとしてやっていく方がいい。

 

 セラピストとクライアントがBody to Body(グロスボディレベル)、Mind to Mind(サトルボディレベル)、Spirit to Spirit(コーザルボディレベル)で己の存在を響かせあうからこそ出てくる反応がある。アタマで学んだだけの知識で通用するのは表層の部分だけだ。

Shima * セラピスト * 09:24 * - * - * pookmark

パズル

 月1回のインテグラル・コーチングを受けはじめてから、もう9年目になるだろうか。1か月の間に起こったこと、感情が大きく動いたこと、気づいたこと、疑問に感じたことなどをドバーッとテーブル上に出すと、師匠は、バラバラのパズルのピースのような出来事ひとつひとつをきちんと秩序立てて収まるべきところに収め、そこに浮かび上がる絵を提示してくれる。そのようなサポートを継続的に受けながら、私は日常で起こる様々な体験を客観的に分析し構造化することや、そこから抽象的な概念を導き出す方法、体験から得た気づきをしっかりと自分の内面に落としこんで定着させることなどを学び、身につけてきたように思う。まあ、まだまだパズルのピースがうまいことはまらなかったり、カオスに落っこちて師匠に助けてもらうことがしょっちゅうあるのだが(笑)

 

 人生のパズルの絵はあまりにも大きく、なかなか全体を見ることは難しい。意識の段階が低いほど、狭い視野しか持てず、部分部分しか見えてこない。人生の最後の最期、パズルのピースが全部そろってはめこまれた時になってやっと自分の人生の絵が完成し、人生を貫いて描かれていたテーマがわかるのだろう。それまでは自分の人生の目的だの、意味だの考えても、あまり意味がない気がする。ただ、その時その時に得たピースをきちんと人生の絵の中にはめこんでいく作業だけは地道に続けていかなければならない。ピースを集めるだけ集めて山にしたままでは絵はいっこうに完成しないのだから。

Shima * Life * 10:24 * - * - * pookmark

役割

 人は誰かと関わるとき、相手との関係性によって生じる役割を演じる必要性に駆られる。例えば、相手が先生であれば、いわれた通り素直に従う「よい生徒」となるよう求められる。相手が上司であれば「よい部下」、相手が親であれば「よい子」、相手が配偶者であれば「よい妻」もしくは「よい夫」、相手が医師であれば「よい患者」であるよう期待されるだろう。人は誰かと関わるとき、相手がどんな役割を自分に望んでいるかを鏡のように映して、半ば自動的に反応する。

 

 そうやって、いつもいつも役割を演じていると、いつのまにか役割が自分そのもののようになっていってしまう。「すべての役割をひっぺがしたら何も残らなかった」「役割を与えられればこなすことができるが、何でもしていいと言われると、何をしたらよいのかわからない。自分が本当は何をしたいのかさっぱりわからない」などという人が増えてきている。それで本当に自分の人生を生きているといえるだろうか?

 

 光と闇、プラスとマイナス、右と左、上と下、善と悪などなど、対極にある2極の間で「バランスする」とは、2極の真ん中で静止することではなく、ふたつの極の間を臨機応変に自由に行き来できることをいう。そして両極の間を行ったり来たりする振り子のような動きによって生命力が生まれる。

 

 「役割」は相手(あるいは社会)が求める理想像であるから、対極にあるのは「ありのままの自分」ということになる。役割の方に固着すれば、ありのままの自分を失くしてしまう。ありのままの自分に固着すれば、社会的な居場所を失ってしまう。

 

 私がエネルギーワークのベースに使っているクラニオセイクラル・バイオダイナミクスでは、クライアントに対して一切の働きかけをしない。ただただクライアントの内のエネルギーの満ち引きを見つめ、サムシング・グレートが起こるべきプロセスを完遂する場をホールドする。クラニオセイクラル・ダイナミクスのセラピストはクライアントに対して何の働きかけもしないための訓練を受ける。セラピーの間、セラピストはひたすら透明に、無になる。役割は相手の望みによって生じるわけだが、このワークではセラピストはクライアントに何も求めず、自らも無となっている。そうなると、受け手も役割をはぎとられて無に帰っていくしかない。ここが他のセラピーにはないユニークなポイントといえるだろう。

 

 瞑想を何年も続けている方達によると、私のエネルギーワークでは、手を触れられてすぐに深い瞑想状態に入って、自分をやすやすと明け渡すことができるそうだ。そうすると、ふだん役割に縛られ続けて生きている方達の意識の振り子を、対極方向に振ることができる。そこで、ありのままの本来の自分に出会うことで、自分の軸がはっきりする。また、その振り子が振られる動きによって生命力が生じ、個としての生命力と、社会的な生命力の両方が回復する・・・なんて一挙両得のおいしい効果があったらいいんだけど、どうかなぁ。

Shima * Life * 16:28 * - * - * pookmark
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