パズル

 月1回のインテグラル・コーチングを受けはじめてから、もう9年目になるだろうか。1か月の間に起こったこと、感情が大きく動いたこと、気づいたこと、疑問に感じたことなどをドバーッとテーブル上に出すと、師匠は、バラバラのパズルのピースのような出来事ひとつひとつをきちんと秩序立てて収まるべきところに収め、そこに浮かび上がる絵を提示してくれる。そのようなサポートを継続的に受けながら、私は日常で起こる様々な体験を客観的に分析し構造化することや、そこから抽象的な概念を導き出す方法、体験から得た気づきをしっかりと自分の内面に落としこんで定着させることなどを学び、身につけてきたように思う。まあ、まだまだパズルのピースがうまいことはまらなかったり、カオスに落っこちて師匠に助けてもらうことがしょっちゅうあるのだが(笑)

 

 人生のパズルの絵はあまりにも大きく、なかなか全体を見ることは難しい。意識の段階が低いほど、狭い視野しか持てず、部分部分しか見えてこない。人生の最後の最期、パズルのピースが全部そろってはめこまれた時になってやっと自分の人生の絵が完成し、人生を貫いて描かれていたテーマがわかるのだろう。それまでは自分の人生の目的だの、意味だの考えても、あまり意味がない気がする。ただ、その時その時に得たピースをきちんと人生の絵の中にはめこんでいく作業だけは地道に続けていかなければならない。ピースを集めるだけ集めて山にしたままでは絵はいっこうに完成しないのだから。

Shima * Life * 10:24 * - * - * pookmark

役割

 人は誰かと関わるとき、相手との関係性によって生じる役割を演じる必要性に駆られる。例えば、相手が先生であれば、いわれた通り素直に従う「よい生徒」となるよう求められる。相手が上司であれば「よい部下」、相手が親であれば「よい子」、相手が配偶者であれば「よい妻」もしくは「よい夫」、相手が医師であれば「よい患者」であるよう期待されるだろう。人は誰かと関わるとき、相手がどんな役割を自分に望んでいるかを鏡のように映して、半ば自動的に反応する。

 

 そうやって、いつもいつも役割を演じていると、いつのまにか役割が自分そのもののようになっていってしまう。「すべての役割をひっぺがしたら何も残らなかった」「役割を与えられればこなすことができるが、何でもしていいと言われると、何をしたらよいのかわからない。自分が本当は何をしたいのかさっぱりわからない」などという人が増えてきている。それで本当に自分の人生を生きているといえるだろうか?

 

 光と闇、プラスとマイナス、右と左、上と下、善と悪などなど、対極にある2極の間で「バランスする」とは、2極の真ん中で静止することではなく、ふたつの極の間を臨機応変に自由に行き来できることをいう。そして両極の間を行ったり来たりする振り子のような動きによって生命力が生まれる。

 

 「役割」は相手(あるいは社会)が求める理想像であるから、対極にあるのは「ありのままの自分」ということになる。役割の方に固着すれば、ありのままの自分を失くしてしまう。ありのままの自分に固着すれば、社会的な居場所を失ってしまう。

 

 私がエネルギーワークのベースに使っているクラニオセイクラル・バイオダイナミクスでは、クライアントに対して一切の働きかけをしない。ただただクライアントの内のエネルギーの満ち引きを見つめ、サムシング・グレートが起こるべきプロセスを完遂する場をホールドする。クラニオセイクラル・ダイナミクスのセラピストはクライアントに対して何の働きかけもしないための訓練を受ける。セラピーの間、セラピストはひたすら透明に、無になる。役割は相手の望みによって生じるわけだが、このワークではセラピストはクライアントに何も求めず、自らも無となっている。そうなると、受け手も役割をはぎとられて無に帰っていくしかない。ここが他のセラピーにはないユニークなポイントといえるだろう。

 

 瞑想を何年も続けている方達によると、私のエネルギーワークでは、手を触れられてすぐに深い瞑想状態に入って、自分をやすやすと明け渡すことができるそうだ。そうすると、ふだん役割に縛られ続けて生きている方達の意識の振り子を、対極方向に振ることができる。そこで、ありのままの本来の自分に出会うことで、自分の軸がはっきりする。また、その振り子が振られる動きによって生命力が生じ、個としての生命力と、社会的な生命力の両方が回復する・・・なんて一挙両得のおいしい効果があったらいいんだけど、どうかなぁ。

Shima * Life * 16:28 * - * - * pookmark

時間感覚

 クリニックでのセッションは50分か、80分なのだけれども、エネルギーワークを受け終わった方からはよく「え、もうこんなに時間経ったんですか?」と言われる。この時、施術者側は3次元世界の時間の流れを離れた世界に没入していることが多く、時間が伸びたり、縮んだり、進んだり、停まったり、逆行したり、未来に飛んだりするのをみている。サトルボディ・コーザルボディはグロスボディと違って時間の流れに縛られていない。エネルギーの身体は時間の枠の制限を受けない。

 

 施術中、丁寧に細かい調整をしなければならない場面では時間が停まる。長時間同じ部分にワークして「やっと終わった」と思って次の場所に移るときに時計をみると、実際には時計の針がまったく進んでいなかったということがよくある。かと思えば、時間の流れが異様に早くて「ええ、もうこんなに時間経っちゃったの?! 」と感じることもある。セッションを指揮するのはクライアントさんの中のサムシング・グレートなので、きっちり完結するように時間配分してくれるから心配ないんだけどね。

 

 エネルギーワークでは、時間を遡って根本原因にアプローチするため、予約を入れてから実際にセッションを受けに来るまでの間に症状や問題が消失してしまうことがある。「症状が消えたということで、予約をキャンセルして来なかったらどうなるのだろう? 」と思う。遠隔ヒーリングでは、物理的に手を触れて行うワークよりも顕著に時間の流れの齟齬が生じる。こちらがまだやってないのに、相手に届いていることがあって、相手からお礼のメールが届いた後で、こちらが(あわてて)遠隔ヒーリングをしたことが何度もあった。順序が逆だが、どうも気のせいではないようだ。

Shima * 時空間 * 08:30 * - * - * pookmark

エネルギーコード

 昔、クリスタルヒーリングで「感情コードのカット」というのを習った。感情コードとは、人と人との間でエネルギーがやりとりされる線のこと。感情エネルギーだけでなく、生命エネルギーなどもやりとりされるから、エネルギーコードと呼んだ方がいいのかもしれないが、これが問題になるのは「依存-コントロール」関係で問題を抱えている人ばかりなので、やはり感情コードという呼び名がふさわしいかもと思う。

 

 習ったやり方では魔方陣を描いて、お香を焚いて、専用のクリスタルを用いて行うのだけど、クリニックでお作法通りに行うのは難しいので、簡易的な方法で切らせてもらう。この時、ご本人の承諾を得ることと、二度とコードをつながないという意思を確認することが必須。エネルギーは人の意思に従う性質があるので、本人が「つながない」と思っていないとすぐに再生されてしまう。

 

 エネルギーコードは本来、天や地の無限のエネルギーとつなぐべきものと思う。他者にネガティブなエネルギーを送り込んで、相手を不安定にさせ、思い通りコントロールしようとしたり、生命エネルギーを抜き取って疲弊させたりというのは、まるでダニのようではないか。愛情という名の元に、家族にがっつりエネルギーコードをつながれている場合もある。相手と自分との間で感情のエネルギーが絶えず行き来するため、自分独自の感覚・感情がわからなくなって、冷静な判断ができなくなる。巻き込まれて相手の言いなりにさせられてしまう。

 

 コードを切ることで様々な変化が起こる。身体的な変化もあれば、仕事上の変化、人間関係の変化などなど、思ってもみなかった所ににまで強力な影響が及ぶ。エネルギーを抜かれなくなって自己治癒力がアップし、身体の浄化が起こることもある。自分では他者を助けているつもりだったのに、実は相手からエネルギーを抜いていたことがわかって愕然とすることもある。自分本来の状態に戻ったことで、新しい道が拓け、転職することになったりもする。いずれにせよ、ご本人の覚悟ができてない時にやるものではない。

 

 もっとソフトな感じでやるのなら、神社でお祓いを受けるのがいいだろう。私は毎年新春に近場の神社に行っていらない縁を切ってリセットしてもらうようにしている。

Shima * エネルギー * 12:50 * - * - * pookmark

宇宙図書館

 ガイドスピリット(=守護)はその方にとって現在テーマになっていることをサポートする存在で、テーマをクリアして新しいテーマに取り組むようになると入れ替わったりする。ガイドスピリットとなる存在は肉体を持たず、直接地上界に介入することができないので、ガイドスピリットとして人々をサポートすることで地上界を変える手伝いをする。この時、その人が放つエネルギーの周波数と共鳴するレベルのガイドスピリットがサポートにつく。低い周波数のエネルギーを放つ人には、低いガイドスピリットがくっつく。動物霊などに憑かれた状態も周波数の高低が違うだけで同じような状態といえる。

 

 意識の垂直的発達が相対主義的段階(グリーン、段階5の要素が入ってきたあたり)以上になると、急激に人からエゴのにおいが消えていく。エゴが少なくなるほど、その人から放たれる周波数は高くなっていって、そのうちに神様レベルの存在ともつながれるようになる。まあ、神様レベルの存在がサポートにつくと、ついている存在の方がパワフルすぎて主従が逆転し、くっつかれている人間の方は神様からいいように使われて奉仕させたれているような状況になったりもするのだが。

 

 そういう神様レベルの存在に魅入られた方たちの中に、宇宙図書館へ導かれる人がいる。宇宙図書館、別名アカシック・レコード。すべての叡智が言葉として結晶化する所と表現したらよいだろうか。宇宙図書館に入るには、高次の存在から認められて入館証となるシンボルを与えられる必要がある。与えられる方は、既に地上界に下ろされた叡智(=人によって言葉の形を成した叡智)をあらかた喰らいつくし、それでも飽き足らず、真我の求めに従って天の叡智までも希求する強い探究心に突き動かされている者に限られる。宇宙図書館は時間がゼロの空間にあるため、いったんシンボルを刻まれた魂は転生を繰り返しても宇宙図書館にアクセスできる。宇宙図書館の時計には針がない。

 

 宇宙図書館とつながった人達は、天の叡智を地上界の言葉とバランスさせることに取り組まされる。かつて、おごり高ぶった人々がバベルの塔を作って神の怒りに触れ、地上の言葉はばらばらにされてしまったというが、宇宙図書館と地上界を行き来する方達は言葉によって天と地をつないでつながりの糸を張る。そういう人達の働きによって、少しずつ少しずつ天と地の距離は近くなっていくのだろう。

Shima * 時空間 * 08:41 * - * - * pookmark

1枚の絵をみるように

 絵をみるとき、小さな部分部分をみていたのでは、全体がわからない。この部分は黄色が塗られていて、こっちの部分は茶褐色が塗られているなどというのは、まったくもって意味がない。人生も同じ。小さな部分部分に囚われていると、全体の絵がみえない。テーマがわからない。

 

 画家が魂を込めて描いた絵には、みた人の人生を変えてしまうほどのパワーがある。その絵と対峙したとき、我々の存在全体に響いてくるものがある。人から生み出された作品でさえそれだけのパワーがあるのだから、まして生身の人間は底知れない。

 

 フラットランドに毒されている人は、他の人と会った時、相手の部分部分には注目するが、1枚の絵をみるようにその人を味わっていないことがある。絵をみるときに、絵画の価値や値段、批評家の論評、どこの美術館に飾られているのかなど、外部的なデータに頼って絵の価値を判断するように、人についても社会的な地位や持っているリソース、利用価値で人を値踏みする。しかし、そんなデータをいくら集積したところで、本当にその人を「わかる」ことはできない。

 

 自分の魂に響いてくるその人の存在感、その人の人生を貫くテーマは何か・・・あたかも素晴らしい絵画を味わい尽くすように人をみる。その見方は自分自身をみる時にも働いている。他者の「利用できる部分」しかみない人は、自分をみるときも全体ではなく、部分しかみていない。

Shima * Life * 08:29 * - * - * pookmark

重荷

 友達の結婚式などで何度も歌わされたのですっかり覚えてしまったのだけど、讃美歌で「いつくしみ深き友なるイエスは 罪・咎・憂いを取り去りたもう こころの嘆きを包まず述べて などかは降ろさぬ 負える重荷を」というのがある。この「重荷」について、先日、ある方の守護様が面白いことを言っていたのでシェアしておきたい。

 

 ボディワーカーの間では「こころの重荷をたくさん背負っている方は肩こりになる」と言われているが、守護様がおっしゃるには、この重荷というものは幻なのだそうだ。確かに物理的には何も背負ってないわけで、心理的に重圧を感じているだけなのだから、幻といえば幻なのだろう。守護様いわく、「人の重荷はイエス・キリストが代わりに背負うと誓ったのであるから、さっさと渡してしまって、こころ軽やかに淡々となすべきことをなし、気づくべきことに気づき、学ぶべきことを学んで成長しなさい。重荷の重圧で身動きできなくなるなんてことのないよう、伴に道を歩く神に荷物持ちをしてもらいなさい。」

 

 私の守護がいうには、個が幻の重荷に苦しむのは、全とのつながりが切れてしまっているからなのだそうだ。先述の守護様がいうとおり、自分が大いなるものとしっかりつながっていれば、どんなに大変なことが起こるとしても、それは自分が背負う重責にはならず、大いなるものが受け止めてくれる。重荷を感じている時は、個に偏っているから、全の方に振り子をふるよう意識すること。この世界で起こることはすべては大いなる宇宙の意志によって編み上げられるタペストリーのようなもので、どのような模様が紡ぎだされるかについて個人が思い悩んだり責任を感じる必要はない。

Shima * Life * 17:54 * - * - * pookmark

意識に上げる

 「エネルギーで解放できるものはできるだけ意識に上げずに開放して下さい」というのがうちのクリニックの院長の方針。トラウマ体験などを言葉に出し意識に上げることで、クライアントさんが苦痛を再体験することは大きな負担になるし、かえって傷を深めるようなことにならないとも限らない。本人の中で漠としていたものが言葉を得ることで焦点化され形を成してしまい、大きな影響力を持つようになってしまうこともあるかもしれない。

 

 エネルギーワークで解消できるレベルのものはできる限りエネルギーワークで終わらせるようにしているが、時々「これは意識にあげて本人のOKをもらわないと開放できないやつだ」という感触を得る時がある。例えば、過去の出来事をきっかけにエネルギーシスト(負のエネルギーの塊)とある種のスキーマが同時に形成されている場合。この時、スキーマはきっかけとなった出来事と関連した刺激に反応して活性化する神経伝達回路を脳内に形成している。エネルギーは人の意に従って働く性質があるため、溜めこまれた感情的なエネルギーを解放するだけではなく、スキーマを新しいものに書き換えて別の回路を作らないとエネルギーシストが再生されてしまう。

 

 家族療法を実践している先生から「偽解決」という言葉を習ったことがある。本人が問題解決のためにやっている方法が結果的に負のループを作り出してしまっている状態といったらわかりやすいだろうか。よくあるのは、人生のある時点で効果的だった方法を、周囲の環境・人間関係・自分の状態などが大きく変化したにもかかわらず、やり続けているパターン。親や先生などの権威者に教え込まれた方法を手放せずにいるケースも多い。本人は問題解決のために良かれと思ってやっているのだが、解決につながらないどころか、新たな問題を生じる結果になっていたりする。このような場合は、手を触れたときに感じられるエネルギーシストを解消する前に、言葉によるワークをする必要がある。その方法がもはやうまく機能しない状態になってしまっていることを理解していただき、手放すことを了承してもらって、より健全で効果的な方法に入れ替える。今のその人にとって一番良い方法はクライアント本人にしかわからないから、必ず御本人にたずねて、本人の口から語られた方法にする。言葉にして意志を宣言してもらうことで、エネルギーも意志に添って動き始めるし、脳にも新しい回路が作られはじめる。スキーマはこれまで本人の役に立とうとがんばってきているので、本人からお礼とお別れの言葉を述べてもらってから解放することが多いが、この時、エネルギーシストに閉じ込められていたエネルギーが急激に周波数を上げて天へ帰っていくのが視える。

 

 このようなワークを提供できるのは、ソマティックもサイコロジーもスピリチュアリティも全部OKにして取り込んでいるホリスティックなクリニックならではと思う。それぞれの技法がただ足し算されるだけではなく、相乗効果で何倍にもなるところがホリスティックの醍醐味だろう。

 

 

Shima * 意識 * 17:31 * - * - * pookmark

不安の効能

 何が怖いのか対象がはっきりしているものを恐怖、何を恐れているのかよくわからず漠然とした怖さを感じている場合を不安という。

 

 ヒトの子育ては本能よりも学習(座学だけでなく、観察や体験も含む)によって遂行される面が大きいが、動物界では子育ては基本的に遺伝子にプログラムされた本能によって営まれるようになっている。ところが、時々ものすごく子育てが下手な個体が発生するらしい。子育てが下手な母は子が安心して過ごせるような環境を提供しないため、子は不安が高く神経症的に育つ。そして、そのような環境で育った子は周囲の状況に対してとても用心深く、外界からの刺激に過敏に反応するため、能天気な個体がうっかり死んでしまうような場面に遭遇しても生きのびることができて、種としての生存確率が上がるのだそうだ。いま人類が暮らす世界では、本能で対処しても解決できないような思いがけない危機に見舞われることが多い。安定型の愛着を形成できない子育て下手の親が増え、神経症的な個体が増えてきているのは、ある意味必然なのかもしれない。

 

 活魚を移送するとき、同じ種類のものばかりを水槽に入れて運ぶと、何十匹も死んでしまうのだが、1〜2匹天敵を入れてやるとほとんど死ななくなるという話をきいたことがある。捕食されるのは数匹なので、天敵を入れておいた方が生存確率が上がる計算になるという。

 

 一昔前まで、ある国では羊を襲う狼が問題になっていた。しかし、狼が羊を狩ることで、実は自然な淘汰が行われ、強い羊だけが生き残って羊全体の健全度が保たれていたことがわかったそうだ。狼の脅威がなくなった現代、脆弱化する羊たちを人間が適切に管理しなくてはならなくなったらしい。

 

 ナショナル・ジオグラフィックにアマゾンの孤立部族の写真が紹介されていた。80〜100名程度の村は4年ごとに移動しているそうだが、共同住居の周りではトウモロコシやキャッサバ、バナナなどが栽培されており、充分な食糧が確保できているらしい。撮影のヘリコプターに向けてたくさんの矢を放ってきたというから、狩猟もしているのだろう。彼らは何万年も前と同じ生活をずっと営み続けている。これからも食糧資源が枯渇したり、病気が蔓延するような自体にならない限り、そのままの生活スタイルを続けていくだろう。

 

 鈴木規夫師匠の名言に「シーラカンスは困らなかったからシーラカンスのままだった」というのがある。「このままでは生きていけないかもしれない」という危機感・不安感は人を前に進ませ、成長・発達を促す原動力となる。

 

 加藤洋平氏が「卓越性研究の最前線」ゼミで「極めて高いクリエイティビティを示す人の中には、自身の中のシャドウに追い立てられ、鬼気迫る勢いで創作や探求に没頭することで高い創造性を発揮しているケースが少なからずあるようだ」と話していた。シャドウは意識によって封じ込められた心の暗黒面であり、通常シャドウが自分の中に存在することに気づくことはない。得体の知れない不穏なものが自分の中にあるのをうっすら感じているかもしれないが、意識に上げようとすると検閲がかかってまた闇の中へと押し戻されてしまう。確かに卓越したものを持ち、ヴィジョン・ロジックに足を突っ込んでいるような方達を眺めてみると、シャドウに追い立てられて生きてきたタイプが多いように思う。周りの人達に「もう充分じゃないか」といくら言われようと、自分の中の鬼に追い立てられて先へ先へと進まざるを得ない。どんなにすばらしいことを達成しようと、自身の作り出した無間地獄の中へと引き戻されていく。傍から見れば痛々しい人生だが、ずっとそうやって生きてきた人には、それが当たり前になっている。彼らの内面世界には、片時もやむことがない悲壮で美しく重厚な音楽が響き渡っているようだ。

 

 私が月2回コーチングを受けているチャド・スチュアート氏によるとシャドウはTrue self(真我)の傷つきによって生じるという。シャドウはサバイバルするための強力なDriverとして働くこともあるが、いくらもがいても傷は維持されつづけ、痛みはなくならない。シャドウに対する適切な介入がなされた時、やっと傷は癒され、シャドウのPolarity(極性)が転換して、闇が光に、黒いエネルギーが白いエネルギーに変わる。その人を半ば奴隷化していたDriverの力は、True selfからPullされる力に変わり、自分自身の中の神聖なるものに導かれるようになる。エロス(上昇)からアガペー(下降)への転換も起こる。

 

 発達段階によって自分の意識の中に含めておけるタイムラインが違う。目安として他者利用型段階(段階2)では1週間先位まで、神話的合理性段階(段階3)で1か月程度まで、前期合理性段階で1〜3か月、後期合理性段階(段階4)で3ヵ月〜1年とのこと。例えば、他者利用型段階では時間軸がごく短く、目先のことしか考えないため、美味しい話と思えば後先考えずすぐ喰らいつく。先々どうなっていくかなど考えないため、将来に対する不安がない。「今ここに集中して生きている」といえばカッコイイが、いきあたりばったりともいえる。小さい子どもが数をかぞえるとき「いっこ、にこ、さんこ、いっぱい」とかいって4個以上は全部同じになってしまうように、彼らにとって1週間以上先のことは5年先、10年先と同じぐらい先すぎて想像できない霞がかかった世界なのだ。「その頃にはいろいろ状況が変わっているだろうから、今から考えたってムダ」ということになる。彼らが失敗した時によく言うセリフは「そんなこと考えてもみなかった」で未来に対して徹底して無責任ともいえる。これに対して、意識段階が高く、何年も先まで意識の中に捉え続けられる人達は「数年先には何が起こっているかわからない。何が起こっても大丈夫なように今から十分な備えをしておかねば」と考え、その時々の変化を的確に捉えながらたゆまぬ努力を続ける。こういった人達は、先のことまで常に常に意識に含めて考えてしまうがゆえに、段階が低い人達よりも不安が高い。しかし、逆にいうと、不安がない人は未来について思いわずらわないし、考えて備えることもないということだ。神話的合理性段階の部下を持つ上司は、部下に不安を与え、タイムラインでもっと先々まで考えさせるような指示を与えることを忘れないようにしないと、いろいろやらかされる。

Shima * 意識 * 13:38 * - * - * pookmark

エネルギー場

 スピリチュアルブームでパワースポットめぐりが流行っているが、パワースポットとして有名な場所に行ってみたら「これのどこがパワースポットなの?」ということがよくある。神の気配というか、神様特有のエネルギーが感じられないのだ。ご利益が目当ての人が集まる神社は、ヒトが祀られている場合が多いように思う。本物の神はエゴまみれの願いをきいてくれようはずもないから、ご利益目当てなら、それをわかってくれるヒト神の方がいいのだろう。日本の神社には邪悪なものを封じ込める目的で作られているものもあって、政治的に抹殺されたヒトの御霊を鎮めるために作られた神社もけっこうたくさんある。例えば「ライバルを蹴落として自分が勝ちたい」など、祀られているヒト神の怨念の方向性が自分の願いと合致する場合は、願いを叶えるのに役立つこともあるかもしれない(私はそういうのは嫌いだけどね)。ともかく、お参りに行く前に神社の縁起は確認しておいた方がいいだろう。神のいる神社とヒト神を祀っている神社とでは全然エネルギーが違う。本物の神がいる神社には、我欲で濁った人のエネルギーを清浄に洗い清め、心を鎮めるエネルギーが流れている。お参りに来られた方の不要なエネルギーをはぎ取ってから、必要なエネルギーとつないでくれる感じだ。神社には鏡が置かれているが、あれは「穢れが取り払われた己の真の姿を映し、その中の神を見よ」ということだ。外の神に頼るのではなく、自分の内なる神に導かれて生きるのが本来あるべき姿だろう。

 

 話を戻すが、ご利益を求めてパワースポットを訪れる人たちのほとんどは、自分自身で神のエネルギーを感じてはいない。私の場合、例えば初めて来た街を歩いていて「なんか稲荷くさいな」と思っていると、稲荷神社に出くわす。「この神社は血なまぐさいな」と思いつつ入ってみたら、戦国武将の甲冑がまつられていたなんてことがあった。熱田神宮では草薙の御剣の清浄なエネルギーが滝行を受けているかのように浴びせられるのを感じた。こういう感覚はサトルボディやコーザルボディを通じて得られるものだ。グロスボディの感覚だけで生きていたのではわからない。

 

 インテグラル理論のケン・ウィルバーは「われわれのなかで心を失っている人は少数である。しかしほとんどの人は、ずっと以前から身体を失っている。」と書いているが、サトルボディやコーザルボディどころではなく、グロスボディの感覚さえ切り離してしまっている人がたくさんいる。つらい、疲れた、眠い、お腹が空いた、暑い、寒いなどなど、感覚を切って何も感じないようにしていた方が仕事がしやすい。しかし、自分の身体の状態を無視していると、適切なケアを与えることができないから、いきなり限界が来てバタッと倒れる。そういう状態にいる人たちは身体を奴隷化しており、モノのように扱う。限界が来て思うように動かなくなると腹を立てる。グロスボディはサトルボディ・コーザルボディの土台となっているので、身体とそのような態度で向き合っているようでは意識の成長も頭打ちになる。「腑に落ちる」という言葉があるが、身体感覚を伴っていなければ、本当に「わかる」状態には至らない。

 

 継続的に私のエネルギーワークを受けている方たちは、大抵そのセッションで集中的にワークするボディが、グロスボディ⇒サトルボディ⇒コーザルボディ⇒グロスボディ⇒サトルボディ⇒コーザルボディ⇒グロスボディ・・・・と周回する。らせんを描きながらエネルギーの周波数がだんだん上昇していく道をたどるわけだ。最初はグロスボディの調整から始まって、何度かセッションを続けてグロスボディの準備ができると、そこを土台としてサトルボディの変容が始まる。その後、しばらくはサトルボディの領域でコーザルボディとのつながりを確立するための変革や再編成が繰り返されていく。そしてコーザルボディを通して非二元の光が差し込み、サトルボディを貫いてグロスボディを光が照らすようになると、再度グロスボディの調整がスタートする。

 

 サトルボディが目覚めてくると、サトルボディの身体感覚を使って、自分の内で動いているエネルギーや、外界のエネルギー、他者のエネルギーを感じられるようになり、それが自身のエネルギー体にどう影響しているもつかめるようになってくる。自分自身の身であるのにサトルボディを体感としてわからないのは、グロスボディに例えるなら植物人間のような状態といえるだろう。サトルボディとコーザルボディが自分の身となって、非二元の光が自身を貫くようになって初めて、自分の本来の身体を取り戻したといえるのではないだろうか。

 

 サトルボディが目覚めたばかりの頃は、サトルボディ感覚のある人たちと一緒にいろいろな場所に行ってどんな感じがするかをお互いにシェアしあい、サトルボディで感じている感覚に言葉を与える作業をすると良いだろう。それによって感覚を拡げていくことができる。昨年、インテグラル仲間と一緒に諏訪大社を訪れた際、地面からすさまじい振動するエネルギーを感じたので、それをみんなに伝えて焦点化させたところ、サトル感覚のある方は「うわー、何ですかこれ! 」と驚いていた。小さい子どもは自分の中に渦巻いている感覚に親から言葉を与えてもらうプロセスを経ることで「これは悲しいという気持ちなのだ」とか「これが悔しいってことなんだ」とか、自分の内部に湧き起っている感覚が何なのかを掴めるようになる。言葉で橋がかけられることによって身体と意識がつながる。このプロセスをすっとばすと、自分の中で何かがモヤモヤしているばかりで、何が起こっているのかを認識することができないということになる。サトルボディの感覚でも同様に言葉で橋をかけて意識とつなげるプロセスが必要だと思う。

 

 先日、師匠と話していて「瞑想して、ヒーリングを受けて、サトルボディ感覚を磨くツアーをやったら面白いだろう」という話になった。数年後、独立開業したらそういうのを企画してみようかなと思う。

Shima * エネルギー * 10:58 * - * - * pookmark
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