単細胞から多細胞へ

 数年前からILP(インテグラル・ライフ・プラクティス)の一環として、インテグラル仲間と交換セッションを行っている。別々のメンバーで月2回。互いの実践領域を活かし、情報交換、意見交換、スキルのシェア、エネルギーワーク、コーチング、シャドウワークなどを行ったり、実験的なワークを試す場となっている。

 

 先週末の交換セッションでは「場を作る」というテーマが浮上した。今回は、クライエント役1名に対し、セラピスト役2名でエネルギーワークをするという試みをしたのだが、1対1のセッションではみられなかった「場」ができあがって、たいへん面白かった。

 

 私たちが実践するエネルギーワークでは、セラピストは一切の意図を持たず、無になり、透明になって、クライエントの内なる叡智(サムシング・グレート)に導かれる。そして、いまクライエントに必要なプロセスを行うためのエネルギーの場が作られる。クライエントはそこで深い瞑想状態に入って安らぎ、静謐な意識の中で自然と個を離れ、深遠なるプロセスが進行する。セラピストはその間、ひたすら場をホールドする。

 

 1対2でこのワークを行った時、面白いことが起こった。セラピスト,蓮▲ライエントだけでなく、セラピスト△魎泙瓩鴇譴魴狙する。この時、セラピスト△諒も、クライエントとセラピスト,里佞燭蠅魎泙瓩鴇譴魴狙するので、入れ子状態になる。そうして、まるで合わせ鏡の中のような場が形成された。セラピスト,皀札薀團好鉢△蘯分がセラピーをやってるのか、受けているのかわからない。3人が3人とも深い瞑想状態に入り、さらに互いを巻き込み合ってエネルギー場が深まっていく。

 

 この日の1回目のセッションでの私のビジョンは「オレンジ段階までは単細胞生物、グリーン段階で多細胞生物になる」というものだった。こんな言葉をきいても、通常であれば「何それ?どういうこと??」となるのが当然だと思うが、セッション後にシェアすると、他のふたりも「わかる、わかる」とうなづいていた。3人ともセッションの「場」の中で、同じような体験を共有していたらしい。

 

 オレンジ段階までの個人は、単細胞生物に象徴されるように、バラバラに、それぞれの意図を持って活動している。オレンジ段階のリーダーは、チームを作って組織で活動しようとするとき、リーダーを頂点としたヒエラルキーを必要とする。メンバーが自身の意志で勝手な動きをすると、リーダーは統率できなくなって困るので、支配-従属関係を維持するための規則やマニュアル、役割分担という枠を設定する。枠が設定されているため、リーダーの求める以上のパフォーマンスを発揮することが難しくなる。

 

 グリーン段階のリーダーは、チームという新しい有機生命体としてのエネルギー場を生み出し、個々のメンバーはその中で同胞となる。そのイメージが多細胞生物。個々人の意図ではなく、ひとつの有機体としての意志によって、メンバーそれぞれが自然と必要な働きをするようになる。ヒエラルキーは必要ない。それぞれがそれぞれの存在に敬意を持ちながら、自然と連携が行われる。その有機体の意図するところは、メンバー全員の意志の総和ではない、まったく新しいものだ。点がつなぎあわされて線になり、さらに面になり、立方体になり、その立方体が点になり・・・というフラクタル構造のループでいえば、立方体が点に変わる、そこのところだ。フラットランドの枠に囚われ、発揮できなかった個々人のすばらしい何かが顕現する可能性が与えられる。

 

 リーダーがそのような有機体としてのチームを生み出す「場」を作るには、サトルボディの発達が欠かせない。サトルボディという目に見えないエネルギーの体で感覚し、情報をやりとりする能力。言葉を介すことなく、エネルギーの体で、他者のエネルギーの体と、その背景にあるエネルギーが交錯しあう世界と、時空を超えてコミュニケーションがなされる。オレンジ段階までのフラットランドの世界では、誰もが再現可能で、客観的なデータとして示すことができるもの(=サイエンス)がすべてで、エネルギーの体などというものは「絵に描いた餅」でしかない。オレンジ段階までをサイエンスの世界とするならば、グリーン段階はアートの世界への移行が起こる段階といえよう。アートの世界では、生命の息吹が吹きこまれるクリエイション(創造)が行われる。  

Shima * 意識 * 09:38 * - * - * pookmark

ブルーな脳みそ

 成人の発達理論によれば、人は死ぬまで発達・成長し続けるが、生まれ持った性格傾向にかかわらず、発達段階ごとに特徴的な思考パターンが見られる。一言に「考える」と言っても、発達段階によってやっていることが全然違う。

 

 数年前、友人の息子が大学に入学して数か月経った頃、大学生活はどうかたずねると「大学はバカばっかりだ」と答えた。なぜそう思うのかきくと、こんな話をしてくれた。

 

 彼はある大きなショッピングモールの飲食店でバイトをしていた。そこには同じ大学のクラスメイトも働いていた。ある日バイトに行くと、レジ前でお客さんが怒っており、クラスメイトがフリーズしていた。間に入って事情をきいてみると、店のルールでは飲食をした客に2時間の駐車券を渡すことになっているが、店が混んでいて待たされたせいで2時間を越えてしまった。それでお客さんは「3時間の駐車券を出して欲しい」と訴えているのだった。彼はクラスメイトに代わってお客に謝罪し、3時間の駐車券を渡したそうだ。客が帰った後、彼はクラスメイトに、こう言った。「3時間の駐車券を出したって、お店に何か損害が出るわけじゃないんだから、さっさと出せばいいじゃないか。そのぐらいのこと、考えればすぐにわかるだろ?」

 

 このクラスメイトはブルー段階(≒段階3 他者依存段階)の特徴を示している。マニュアルに照らして判断することが彼にとっての「考える」で、もしも自分の頭の中のマニュアルにない事態に遭遇した場合は、偉い人や周囲の信頼できる人に判断をあおぐ。自分で判断して責任をひきうけることはしない。関係者それぞれの立場で利害関係を考え、状況を判断して、マニュアルにない妥当な答えを考え出すことがまだ難しい段階にいる。一方、友人の息子の方は、もう一歩進んでオレンジ段階(≒段階4 自己主導段階)に踏み込んでいる様子がうかがえる。

 

 発達段階が高いほど、より多くの要素を「意識の器」に入れて検討し、時間軸・空間も捉えて深く広く物事を考えるようになる。「発達段階が高くなるほど、意識の器が大きくなる」と言われるが、意識の器の大きさ(=広さ×深さ)は、脳の活動領域と活性に比例する。発達段階が高いほど、脳のより多くの領域で神経細胞=ニューロンがネットワークをつくり、発火して活発に働く。発達段階はある程度まで知能の発達と連動していると言われるのは、複雑なニューロンのつながりを脳の中に作る、つまり「脳みその筋肉を鍛える」という脳の基礎体力ができていないと、広い脳領域を一度にシステマティックに働かせることが難しいからだ。

 

 多くの学校で生徒に繰り返し練習させている「考える」は正答がある問いに対して、決まりきった妥当な答えを返すものばかりだ。教科書に書かれたマニュアルを頭に入れて「こういう問いが来たら、このマニュアルを使って答えを出す」ということをやるだけで済んでしまう。むしろ、自分独自の独創的答えを書いたら、ペケをもらう可能性が高い。マニュアルに沿った思考ばかり延々と繰り返されたら、ニューロンはシンプルなネットワークしか構築しない。他のニューロンネットワークは「使用頻度が低いから要らない」と判断され、刈り込まれてしまう。そうすると、複雑な思考ができない、シンプルな脳みそになる。複雑な思考に対応できる脳をビルドアップする努力を別途行わなければ、ブルー段階を超えてオレンジ段階に進むことは難しい。

 

 社会人の「考える」は、マニュアルに沿って検討するだけではすまない。正答が存在しない問いに答えなければならない場面も多々ある。マニュアル通りにいかないものに対してどれだけ対応できるか、これまでにない画期的な答えをひねり出して突破口を作ることができるかどうかが評価される。だから、オレンジ段階に進まなければならないのだが、脳の中に新しいニューロンネットワークが構築されるまで、毎日毎日脳に刺激を与え続けることはそう簡単ではない。そのため、「考える」ことを外注し、専門家や信頼できる誰かに判断を任せる人も出てくる。職業人の多くはブルー段階にとどまり、オレンジ段階に進んで複雑な思考ができるようになる人は2〜3割程度しかいないらしい。

 

 複雑な思考が可能な脳を作るためには、日々、脳みその筋トレを続け、ニューロンの複雑なつながりを構築することが必要となる。週末に高いお金を払ってセミナーを受けたところで、脳が急成長するはずもない。セミナーで学んで、新しいマニュアルをインプットすれば万事解決すると信じていること自体、マニュアル礼賛のブルーな脳みそになっている可能性が高い。

Shima * 意識 * 16:50 * - * - * pookmark

意識に上げる

 「エネルギーで解放できるものはできるだけ意識に上げずに開放して下さい」というのがうちのクリニックの院長の方針。トラウマ体験などを言葉に出し意識に上げることで、クライアントさんが苦痛を再体験することは大きな負担になるし、かえって傷を深めるようなことにならないとも限らない。本人の中で漠としていたものが言葉を得ることで焦点化され形を成してしまい、大きな影響力を持つようになってしまうこともあるかもしれない。

 

 エネルギーワークで解消できるレベルのものはできる限りエネルギーワークで終わらせるようにしているが、時々「これは意識にあげて本人のOKをもらわないと開放できないやつだ」という感触を得る時がある。例えば、過去の出来事をきっかけにエネルギーシスト(負のエネルギーの塊)とある種のスキーマが同時に形成されている場合。この時、スキーマはきっかけとなった出来事と関連した刺激に反応して活性化する神経伝達回路を脳内に形成している。エネルギーは人の意に従って働く性質があるため、溜めこまれた感情的なエネルギーを解放するだけではなく、スキーマを新しいものに書き換えて別の回路を作らないとエネルギーシストが再生されてしまう。

 

 家族療法を実践している先生から「偽解決」という言葉を習ったことがある。本人が問題解決のためにやっている方法が結果的に負のループを作り出してしまっている状態といったらわかりやすいだろうか。よくあるのは、人生のある時点で効果的だった方法を、周囲の環境・人間関係・自分の状態などが大きく変化したにもかかわらず、やり続けているパターン。親や先生などの権威者に教え込まれた方法を手放せずにいるケースも多い。本人は問題解決のために良かれと思ってやっているのだが、解決につながらないどころか、新たな問題を生じる結果になっていたりする。このような場合は、手を触れたときに感じられるエネルギーシストを解消する前に、言葉によるワークをする必要がある。その方法がもはやうまく機能しない状態になってしまっていることを理解していただき、手放すことを了承してもらって、より健全で効果的な方法に入れ替える。今のその人にとって一番良い方法はクライアント本人にしかわからないから、必ず御本人にたずねて、本人の口から語られた方法にする。言葉にして意志を宣言してもらうことで、エネルギーも意志に添って動き始めるし、脳にも新しい回路が作られはじめる。スキーマはこれまで本人の役に立とうとがんばってきているので、本人からお礼とお別れの言葉を述べてもらってから解放することが多いが、この時、エネルギーシストに閉じ込められていたエネルギーが急激に周波数を上げて天へ帰っていくのが視える。

 

 このようなワークを提供できるのは、ソマティックもサイコロジーもスピリチュアリティも全部OKにして取り込んでいるホリスティックなクリニックならではと思う。それぞれの技法がただ足し算されるだけではなく、相乗効果で何倍にもなるところがホリスティックの醍醐味だろう。

 

 

Shima * 意識 * 17:31 * - * - * pookmark

不安の効能

 何が怖いのか対象がはっきりしているものを恐怖、何を恐れているのかよくわからず漠然とした怖さを感じている場合を不安という。

 

 ヒトの子育ては本能よりも学習(座学だけでなく、観察や体験も含む)によって遂行される面が大きいが、動物界では子育ては基本的に遺伝子にプログラムされた本能によって営まれるようになっている。ところが、時々ものすごく子育てが下手な個体が発生するらしい。子育てが下手な母は子が安心して過ごせるような環境を提供しないため、子は不安が高く神経症的に育つ。そして、そのような環境で育った子は周囲の状況に対してとても用心深く、外界からの刺激に過敏に反応するため、能天気な個体がうっかり死んでしまうような場面に遭遇しても生きのびることができて、種としての生存確率が上がるのだそうだ。いま人類が暮らす世界では、本能で対処しても解決できないような思いがけない危機に見舞われることが多い。安定型の愛着を形成できない子育て下手の親が増え、神経症的な個体が増えてきているのは、ある意味必然なのかもしれない。

 

 活魚を移送するとき、同じ種類のものばかりを水槽に入れて運ぶと、何十匹も死んでしまうのだが、1〜2匹天敵を入れてやるとほとんど死ななくなるという話をきいたことがある。捕食されるのは数匹なので、天敵を入れておいた方が生存確率が上がる計算になるという。

 

 一昔前まで、ある国では羊を襲う狼が問題になっていた。しかし、狼が羊を狩ることで、実は自然な淘汰が行われ、強い羊だけが生き残って羊全体の健全度が保たれていたことがわかったそうだ。狼の脅威がなくなった現代、脆弱化する羊たちを人間が適切に管理しなくてはならなくなったらしい。

 

 ナショナル・ジオグラフィックにアマゾンの孤立部族の写真が紹介されていた。80〜100名程度の村は4年ごとに移動しているそうだが、共同住居の周りではトウモロコシやキャッサバ、バナナなどが栽培されており、充分な食糧が確保できているらしい。撮影のヘリコプターに向けてたくさんの矢を放ってきたというから、狩猟もしているのだろう。彼らは何万年も前と同じ生活をずっと営み続けている。これからも食糧資源が枯渇したり、病気が蔓延するような自体にならない限り、そのままの生活スタイルを続けていくだろう。

 

 鈴木規夫師匠の名言に「シーラカンスは困らなかったからシーラカンスのままだった」というのがある。「このままでは生きていけないかもしれない」という危機感・不安感は人を前に進ませ、成長・発達を促す原動力となる。

 

 加藤洋平氏が「卓越性研究の最前線」ゼミで「極めて高いクリエイティビティを示す人の中には、自身の中のシャドウに追い立てられ、鬼気迫る勢いで創作や探求に没頭することで高い創造性を発揮しているケースが少なからずあるようだ」と話していた。シャドウは意識によって封じ込められた心の暗黒面であり、通常シャドウが自分の中に存在することに気づくことはない。得体の知れない不穏なものが自分の中にあるのをうっすら感じているかもしれないが、意識に上げようとすると検閲がかかってまた闇の中へと押し戻されてしまう。確かに卓越したものを持ち、ヴィジョン・ロジックに足を突っ込んでいるような方達を眺めてみると、シャドウに追い立てられて生きてきたタイプが多いように思う。周りの人達に「もう充分じゃないか」といくら言われようと、自分の中の鬼に追い立てられて先へ先へと進まざるを得ない。どんなにすばらしいことを達成しようと、自身の作り出した無間地獄の中へと引き戻されていく。傍から見れば痛々しい人生だが、ずっとそうやって生きてきた人には、それが当たり前になっている。彼らの内面世界には、片時もやむことがない悲壮で美しく重厚な音楽が響き渡っているようだ。

 

 私が月2回コーチングを受けているチャド・スチュアート氏によるとシャドウはTrue self(真我)の傷つきによって生じるという。シャドウはサバイバルするための強力なDriverとして働くこともあるが、いくらもがいても傷は維持されつづけ、痛みはなくならない。シャドウに対する適切な介入がなされた時、やっと傷は癒され、シャドウのPolarity(極性)が転換して、闇が光に、黒いエネルギーが白いエネルギーに変わる。その人を半ば奴隷化していたDriverの力は、True selfからPullされる力に変わり、自分自身の中の神聖なるものに導かれるようになる。エロス(上昇)からアガペー(下降)への転換も起こる。

 

 発達段階によって自分の意識の中に含めておけるタイムラインが違う。目安として他者利用型段階(段階2)では1週間先位まで、神話的合理性段階(段階3)で1か月程度まで、前期合理性段階で1〜3か月、後期合理性段階(段階4)で3ヵ月〜1年とのこと。例えば、他者利用型段階では時間軸がごく短く、目先のことしか考えないため、美味しい話と思えば後先考えずすぐ喰らいつく。先々どうなっていくかなど考えないため、将来に対する不安がない。「今ここに集中して生きている」といえばカッコイイが、いきあたりばったりともいえる。小さい子どもが数をかぞえるとき「いっこ、にこ、さんこ、いっぱい」とかいって4個以上は全部同じになってしまうように、彼らにとって1週間以上先のことは5年先、10年先と同じぐらい先すぎて想像できない霞がかかった世界なのだ。「その頃にはいろいろ状況が変わっているだろうから、今から考えたってムダ」ということになる。彼らが失敗した時によく言うセリフは「そんなこと考えてもみなかった」で未来に対して徹底して無責任ともいえる。これに対して、意識段階が高く、何年も先まで意識の中に捉え続けられる人達は「数年先には何が起こっているかわからない。何が起こっても大丈夫なように今から十分な備えをしておかねば」と考え、その時々の変化を的確に捉えながらたゆまぬ努力を続ける。こういった人達は、先のことまで常に常に意識に含めて考えてしまうがゆえに、段階が低い人達よりも不安が高い。しかし、逆にいうと、不安がない人は未来について思いわずらわないし、考えて備えることもないということだ。神話的合理性段階の部下を持つ上司は、部下に不安を与え、タイムラインでもっと先々まで考えさせるような指示を与えることを忘れないようにしないと、いろいろやらかされる。

Shima * 意識 * 13:38 * - * - * pookmark

心の理論

 昨年書いた修士論文から「心の理論」について以下にまとめてみた。研究者ではなく、半人前の学生が書いたものなので、生暖かい目で読んでいただけるとありがたい。加藤ゼミでキーガンの成人の発達理論を学んだ後に読み返してみたとき、シミュレーション説→モジュール説→理論説というように前段階を含んで超えてやり方が変わっていくのかもしれないという気もしている。

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 心の理論とは, 目的意図, 知識, 信念, 思考, 疑念, 推測, ふり, 好みなど, 他者の行動予測をするシステムとしての内的推論機能であり(Premack & Woodruff, 1978), 一般的には相手の気持ちや意図を推測して理解し, 対応する能力と理解されている。日本では言葉にしなくても伝わること, 気持ちを察してもらえることが人同士のつながりの指標のひとつとなっており、社会適応と心の理論の発達との関連が深いと推察される。ところが, 日本の子どもの心の理論の発達課題における通過年齢は, オーストラリア, カナダ, 韓国, 米国, オーストリア, 英国に比べ, 遅いという研究結果が出ている(Wellman, Cross, & Watson, 2001; 東山, 2007)。

 

 他者の心の動きを推測する方法として  Gordon(1992)は, 自分がその状況にあったらどうであるかを頭の中で模擬実験することによって他者の心の状態を考えるとするシミュレーション説(simulation theory)を支持した。 一方, Baron-Cohen(1995長野・長畑・今野訳1997)やLeslie & Roth (1993 田原・小林訳1997)は, 生得的なモジュールを活用しているとするモジュール説(modularity nativism)を採用している。 また, Perner (1991小島・佐藤・松田訳2006)やWellman et al. (2001)は後天的に子どもの内部で形成された理論を用いているとする理論説(theory-theory)の立場をとっている。


 △Baron-Cohen(1995長野他訳1997)は, 他者の心を読むシステムについて意図の検出器(Intentionality Detector), 視線の検出器(Eye-Direction Detector), 注意共有の仕組み(Shared Attention Mechanism), 心の理論メカニズム(Theory of Mind Mechanism)の4つを用いたモデルを提唱している。意図の検出器と視線の検出器は外界からの刺激を受け, 2項表象(対象物と自分のつながりのイメージ)を作り出す。意図の検出器と視線の検出器からの入力は注意共有の仕組みの3項表象(対象物と自分と相手の3つがつながったイメージ)へと進み, さらに注意共有の仕組みから心の理論メカニズムへという流れで心の理論の蓄積や使用が起こり, 表現へとつながる。

 

 心の理論の発達を測定するための課題としてよく知られているのはBaron-Cohen, Leslie, & Frith (1985)の誤信念課題(False Belief task)である。誤信念課題とは, 課題中の登場人物が知り得る情報と, 被験者が見聞きする情報に差を設け, その登場人物と自身が違った考えや思いを持つことを被験者が理解しているかどうかを判定するものである。Wellman & Liu(2004)は心の理論の発達をより多面的に捉えるため, 7つの課題を提案しており, 最近の心の理論研究ではこれらのうちのいくつかを組み合わせて用いることが多くなってきている。7つの課題とは(a) Diverse Desires task : 同じ対象物に対し, 他者が自分とは違った欲求を持つことを理解しているか判断する課題, (b) Diverse Beliefs task : 真偽がわからないとき, 同じ対象物に対し, 他者が自分とは違った信念を持つことを理解しているか判断する課題, (c) Knowledge Access task : 箱の中に何が入っているかを見た子どもに, 箱の中を見ていない他者に何が入っているか聞いた場合, 何と答えるかをはい・いいえの二択で答えさせる課題, (d) Content False Belief task : 子どもが容器の中身を知っているとき, その容器を見た別の人の誤信念を理解しているか判断させる課題, (e) Explicit False Belief task : 間違った話を信じている人がどのように探索するかを子どもに判断させる課題, (f) Belief Emotion task : 間違った話を信じている人がどのように感じているかを子どもにたずねる課題, (g) Real-Apparent Emotion task (Hidden Emotion task) : 人が本当に感じていることとは違った感情表現をすることがあるとわかっているかを判断する課題である。

 

 先行研究より、心の理論がうまく働かない場合の阻害要因として以下のようなものが考えられる。第1は脳の特定部位の活性や伝達に障害があり, 心の理論のメカニズムに支障がでる場合である。虐待のある養育環境にさらされた場合の眼窩前頭皮質の発達不全や、メディア依存による前頭前野やミラーニューロンの不全などが関連している可能性がある。第2は遂行機能(目標を定め, 計画し, 実行する能力)等に問題を生じており, 脳内で相手についてのシミュレーションをすることができない場合である。遂行機能の障害には, 脳の前頭葉損傷や, 子どもの自主性のサポートについての養育者の態度が関連していると推測される。第3は心の理論のシステムが働くときに必要な3項表象の形成がうまくできない場合で, 神経系の発達障害によるものもあるが, 日本においては集団主義や主語がない日本語を用いた思考形態がかかわっている可能性がある。

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Shima * 意識 * 08:07 * - * - * pookmark

自分を縛るもの

 4月末に師匠からセッションを受けているとき、突然、それまでの私をがんじがらめにしていたさまざまな縛りがすべてバキバキっと外れるという驚きの体験があった。大学院では臨床心理家として、ボディワークの学校ではセラピストとして、結婚に際しては妻として、会社では社会人として、学校では学生として、家庭では人として、それぞれ「かくあるべき」という理想の型を与えられ、そこに自分を合わせて生きるようしつけられてきた。そういったたくさんの縛りで締め上げられることで自分という形を保っていたとわかったのは、それらがすべて外れたときだった。縛りが外れた中から出てきた本当の自分はあまりに頼りなくやわやわで、新しい自分はこんなにもひ弱なのかと笑ってしまったが、ここから自由な自分をスタートさせていくんだという感慨もあった。

 

 古い自分を破壊し、新たな自分を創造する「死と再生のプロセス」が成長にはつきものと言われるが、新しくなった自分を感じてみると、どんどん透明になって拡散していって、つかみどころがない。そんな状態でも日常生活は何事もなかったかのように営まれていくのが不思議な感じだった。2〜3日後、お風呂に入って鏡を見ながら小鼻ブラシを使っていると、「鼻をブラシでくるくる洗っている自分」と「くるくる鼻を洗われているのを感じている自分」と「鼻を洗っている自分と洗われている自分のやりとりを鏡で見ている自分」と「その三者を俯瞰して見ている自分」、さらに「その俯瞰する自分に気づいている自分」・・・と、合わせ鏡の中の無限の自己像のような自分を感じて気持ち悪くなってしまった。

 

 守護からは「言葉を使って思考するのをやめること」と「自分のための探求をすること」を課題として与えられた。「それって、どういうこと?」とたずねると、師匠の著書「インテグラル・シンキング」を読むよう薦められた。数年ぶりに読んでみると今回の件について「ああ、そういうことだったのか」と腑におちる解説がばっちり書かれてあって驚いた。さすがだ。それで重要な箇所をWordに書き写して読み返し、頭に入れた。

 

 そんなことをしているうちに、これまで自分の考えと思っていたものは、すべて外から与えられた型にもとづいた地上界の智恵をつぎはぎしただけのもので、本当に自分の考えといえるものなどないとわかった。思考というのは実は幻で、地上界の智恵と天界の智恵がただ自分の中を吹き抜ける風のように循環していただけだった。

 

 最初の頃は早く新しい自分を作らなければとあせっていたが、わざわざ新しい自分という型を作って枠にはめる必要などないことがわかった。ただただ世界そのものに溶けこむ透明な自分でいて良い気がしてきた。これまでは「かくあるべき」という型に縛られ、「〜すべき」あるいは「〜すべきではない」という姿勢で生きていた。いまは「〜したい」という自分の自由な思いを優先して生きている感じがする。そういう意味で、成長は自分を囚われから解放し、どんどん自由にしていくのかもしれない。

 

 確固とした自分がない状態は、寄る辺なく頼りなさそうだが、過去の自分も今の自分の中に統合し内包しているので、必要があればこれまで使っていた型を用いて場面場面に柔軟に対応することができる。違うのは、これまで型に呪縛されて枠から外れる自由がなかったために生かしきれていなかった自分本来の資質が解き放たれたことだ。

Shima * 意識 * 08:24 * - * - * pookmark

無意識の水位

 先日ぼーっとしているときに「意識段階が縦方向に成長するとは、自分の中を見えなくしている無意識の濁った泥水が清く透明な水になり、水位が下がっていくことで、相対的に視える部分が増える」というイメージが浮かんだ。発達とともに、自分の意識の器から無意識の泥水が抜けて、深く深くどんどん底なしになっていく。底なしの底は無で空な世界、宇宙の叡智、一なるもの。

 

 例えば、キーガンのいう発達段階2(利己的段階・道具主義的段階)の人は相手の気持ちになって考えることができないが、催眠療法を使って無意識の水中に潜ることで、相手になりきってみることができる。しかし、発達段階4(自己主導段階)の人は、顕在意識の状態で日常的に相手の気持ちになって考えるということをやっている。例えば、発達段階4の人が宇宙の叡智に触れようとしたら、催眠療法や瞑想で変性意識状態に入らないとつながれないが、発達段階5(相互発達段階)を超えた人たちは、普段の意識状態でいつでもそことつながりながら生きている。低い段階では無意識下にあって見えなかったものが、高い段階では普段の意識状態であたりまえに扱えるようになる。

 

 人は無意識下で密かにうごめいているものに気づけない。意識のテーブルにのせることができないからこそ、無意識とか潜在意識と呼ばれるわけだ。そのため、顕在意識の方で一生懸命努力しているのに、どうにも思い通りにできないということが起こる。ところが無意識の水位が下がると、それまで無意識下に沈められていた別の欲望を持つ自分が邪魔をしていた・・・などということが露見してくる。無意識の泥水で覆い隠されていたために、その存在に気づくことができず、対処もできなかったものを意識のテーブルにのせられる。対処に苦慮することも多いだろうが、それまで意識に入れることができなかった自分の一部を自分の中に取り戻すチャンスとなる。以前のように見えない自分の中の何かに操られてコントロールを失うことが減っていく。意識段階が高くなればなるほど、統制できない自分が減って、自己統合が進んでいく。

 

 意識段階が高くなればなるほど、無意識の水位が下がり、水の底に沈めて見ないようにしていた問題と取り組まなくてはならなくなる。「自身を客観的に内省する力が増す」などと言われるが、実際には問題が常にそこにあることを意識できてしまうために気持ち悪くて我慢できない、見て見ぬふりをしていられないという切迫感に追い立てられるというのが実情だろう。そうして日常的に多くの問題との対峙を余儀なくされる。そしてこの時、自分を見るときの深さそのままで世界を見るようになる。自分を深く見る人は、他人も世界も深い目を持って見つめているため、多くの問題に気づく。しかし、もしその問題がメインストリームである段階3〜4の人たちには見えない部分であった場合、問題を指摘したところでそう簡単には理解されない。段階4を超えた人の生きづらさはこういったところから生じているように思う。

 

 発達にかかわるセラピストは、自分の意識段階より高い段階にいる人の支援ができないと言われるが、クライアントの世界の深さを体感として知らないのであれば、本当に共感することはできないし、問題の本質がつかめない。自分にとって一番深いところが、自分の世界では一番深いところであって、それ以上の深みをわかることはできない。キーガンの発達段階の成人の分布は段階2(利己的段階・道具的段階)10%、段階3(他者依存段階・慣習的段階)70%、段階4(自己主導段階)20%、段階5(相互発達段階)1%以下となっているが、セラピスト業界でもその分布に変わりはない。そして、誰もが自分の段階を高く見積もる傾向がある。実際には自分が思っているより最低でも1段階は低いレベルにいると思って間違いないだろう。段階が上の人から見れば違いは歴然としているのだが、下の段階にいる人には上の段階の人との違いがわからない。

 

 対話のセラピーをするとき、物理的にはセラピストとクライアントの2者しかいないが、頭の中にはセラピストとしての自分、素の自分、事実に基づくクライアント像、理論に基づくクライアントの仮説像、それらを俯瞰して統括する自分(+サムシンググレート)がいる。さらにクライアントにとっての重要人物像がそこに加わることもある。これらのキャラクターそれぞれの角度から問題がどう見えるかシミュレーションを展開しつつ、生のクライアントと話をするのだから、頭の中は大忙しだ。この時、自分の無意識の泥沼が深ければ、放し飼いの無意識の自分が暴れだすのを統制しきれない可能性がある。もっとも、このようなイメージ操作をしながら思考することは段階4を超えてからでないとできないわけだが。当たり前に言われてきたことだが、セラピストに何よりも求められることは、自分自身が人として成長・発達することだとつくづくに思う。

Shima * 意識 * 08:20 * - * - * pookmark

発達支援

今回、加藤洋平さんの発達ゼミを受けて改めて確認したことのひとつは、私は発達支援がしたいのだということだった。いま勤めているクリニックはホリスティックを基本理念としており、症状は成長のプロセスとしてあらわれてくるという考え方なので、マッチングとしてバッチリといえる。

加藤ゼミで習ったキーガンの成人の意識の発達のモデルは、2(道具主義的段階)、3(他者依存段階)、4(自己主導段階)、5(相互発達段階)と進んでいく(ちなみに段階1は子ども)。そして、それらはさらに16の段階に細分化される。
 2→2(3)→2/3→3/2→3(2)→3→3(4)→3/4→4/3→4(3)→4→4(5)→
 4/5→5/4→5(4)→5
( )はカッコ内の段階の要素も少し見られるもの、/ はふたつの段階の価値観の板ばさみになって葛藤がある場合を示す。
例えば3とか、4(3)のように、正数値の場合や、( )がついてる場合は御本人のあり方は安定しているので、クリニックに相談に来られることはあまりないだろう。3/4とか、4/5のようにスラッシュがついている場合は内的葛藤があるので、援助を必要とする場合がでてくると推測される。

日本の心理系大学・大学院ではでは成人の発達段階についてほとんど教えられていない。その点では欧米よりも30年も遅れていると言われてもしかたない。セラピストには成人の発達段階についての知見がないし、一般的な心理系クリニックでは社会適応を目的にした支援が行われるので、クライアントがふたつの段階のはざまで板ばさみになって揺れ動いていてそこが問題だとしても、社会で問題なく暮らせることを目的にした介入が行われてしまう。セラピストは上の段階に成長させるための支援をしているのか、水平方向に充実させる支援をしているのか、はたまた退行させているのか、自分の介入の方向性についてわかっていない。これは恐ろしいことだ。

上の段階に大きくジャンプしようとするときに、下の段階でのとり残しが足にからみついて跳べない場合があるので、そういう場合にはいったん退行させてそれらを完結させる必要がある。そういった文脈であえて退行させる介入を行うのは非常に有効であるが、3/4に進んでいるものを3(4)に引き戻して安定させるのは、クライアントの自然な成長を邪魔することになる。しかしセラピスト側の段階がクライアントよりも低かったり、セラピストの志向する心理学的手法が多数派の段階3にピッタリくるように作られたものだったりすると、支援のつもりで実は発達を阻害するなどということが起こってしまう。

人間の成長や発達にかかわる心理的支援をお仕事にしている方は、ぜひ加藤氏の本「なぜ部下とうまくいかないのか?」を入口として、成人の発達についての知見を深めていただきたい。加藤氏のHP発達理論の学び舎にもたくさん資料があるのでご参考にされたい。 
Shima * 意識 * 16:43 * - * - * pookmark

やさしさ

「やさしさ」は無条件の愛とつながるヒトの本質的なもの。ところが条件付きの愛がはびこるこの社会では、無理やりやさしい行動をとるよう要求されることが多い。相手に対するやさしさが自分の心の奥の無条件の愛からわいてきて、自然に行動となって現れるのを待つのではなく、かわいそうな人や困っている人がいたら即座に自動的にやさしく接してあげなければならない、助けてあげなければいけないという圧力がかかる。善き人として他者に適切なやさしさを示さない場合、条件付きの愛の「条件」を満たさないため、愛されず、つまはじきにされる恐怖がこの社会で暮らす我々には強く刷り込まれている。しかし、この場合、外圧によって無理やりやらされたことなので、自分の中の自然な感情の流れに逆らうことになり、我慢や自己犠牲を強いられている感覚が出てくる。このようなことが続くと、自分の中の自然な感情の流れをせきとめ、無理やり変えたことから生じるネガティブな感情が堪忍袋(笑)に溜め込まれ、だんだんやさしさを強要され、他者に常にやさしくしなければならないことが苦痛になっていくだろう。本当に本質がやさしい人ほど、人に対してやさしくすることに抵抗や違和感を感じて躊躇することがあるんじゃないかという気がする。
Shima * 意識 * 17:23 * - * - * pookmark

天才脳

 2013年6月号の日経サイエンスに「天才脳の秘密」という特集記事が載っていた。そこに載っていた記事によると「認知的脱抑制+大容量のワーキングメモリ+高いIQ=天才脳」ということになるらしい。普通の人はものを考えるときに、関係のない物事についての情報が思考のテーブル上に出てこないよう抑制をかけ、関連のあることだけを材料にして考える。これが認知的抑制がかかっている状態。認知的脱抑制の場合は、関係のない物事の情報もぜんぶいっぺんにテーブルに乗せて考えてしまうので、無駄な情報同士の組み合わせも多くできてしまって、非常に効率が悪い。しかし、それによって普通の人が思いつかないような物事と物事の間につながりを作り、新しい発想を創り出すことができる。

 私はものを考えるとき、通常は意識を集中して答えを考える。しかし、それで良い答えがでない場合は、逆に意識を拡散させて考える。このやり方だと少々時間がかかるのが難だが、「私って天才かも!」と自分でもびっくりするような答えに行きつくことがある。例えば、むかしJavaScriptでマヤの占いページを作ったときの話。計算の起算点が紀元前のため、どうやって計算式を書いたら良いものか困ってしまった。そこで、拡散して考える方向に転じたところ、「そうだ!2012年12月21日に再びゼロポイントに戻るから、そこから逆算して計算すればいい」とひらめいた(現在は次のゼロポイント西暦7137年8月16日に書き直してます)。天才の方たちの認知的脱抑制の脳の使い方もそういう感じなのではないかと思う。

 天才とナントカは紙一重という話があるが、認知的脱抑制だけがあって、大容量のワーキングメモリと高いIQがないと、とんちんかんな答えしか出てこないことになる。意識のレベルが高くなるにつれ、器の大きさが大きくなって、一度に意識に含めて取り扱える物事が増えていくが、この時、ある程度の知性が必要といわれるのはそういうことなのだろう。せっかくチャネリング能力があるのに、不思議ちゃんとか電波な人と言われてしまう人は、大容量のワーキングメモリと高いIQのどちらかが欠けているのかもなぁと思う。

Shima * 意識 * 11:33 * - * - * pookmark
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