グレートスピリット

 8月に臨床心理を学んでいる大学院の最後の授業がサンフランシスコであったので、半月ほど米国に行ってました。その際、授業の前にせっかくだからどこかに観光に行こうという話になり、クラスメイトと一緒にセドナに行ってネイティブアメリカンのスウェットロッジを体験してきました。

 私たちが体験したスウェットロッジは、母の子宮を象徴する丸い真っ暗なテントの中で、父を象徴する火を焚き、香草の蒸気が立ち込める中、シャーマンの導きによってるグレートスピリット(太霊)とつながって、四方の精霊の力を借りて生まれ変わりの儀式をするものでした。時間はだいたい90分くらいで、途中東西南北の精霊を招き入れるためにテントの入口が開けられますが、まあ、今までにこんなに大量の汗をかいたことがないというくらい、ボタボタボタボタ大量の汗が出ました。

 この時に私が触れたグレートスピリットのエネルギーは、過去にこの地で生きていた人間の魂の集合意識のようなもので、私が普段エネルギーワークの時につながるサムシンググレートとはぜんぜん違っていました。サムシンググレートのエネルギーは人の意識を拡大させていって、個であることを超え、最終的にすべては自分と異ならないというワンネス(全)の状態に導く感じのものですが、グレートスピリットは人の意識を個に集中させていって、最終的に自分の中の宇宙に出会ってワンネスの状態に入っていくみたいな感じです。サムシンググレートのエネルギーはHolyで人を天に上昇させていくイメージですが、グレートスピリットは土臭い感触でがっちりグランディングさせて地球の内側に引っ張り込んでいく感じとでもいいましょうか。人は体の中に血液の海を持っていて、地球のミニチュア版みたいなものですからね。

 振り子のように、個と全の間を行ったり来たりして勢いをつけて、どちらかの極に至るということをするためには、このエネルギーとつながったことは大きな意味があるなぁと思いました。9月からクリニックで仕事をする上で、このエネルギーとつながっておくことは必然だったのかもしれません。サポートの幅が拡げられたように思います。
Shima * 源・サムシンググレート * 17:34 * - * - * pookmark

faith

辞書によるとfaithは信頼、信仰、信念、信条、信義、誠実などを意味する。

昔インテグラル・コーチングでJames FowlerのFaithについての話をきいた。
 faith:自分が生まれてきたことは祝福されている
     愛情に満たされた感覚
     信頼されている&信頼できる
 faithは宗教・文化を超越した生きる原動力で、これがないと生きていけない。
 faithが破壊されていると、世界を斜に見て破壊さえいとわないようになる。
 各発達段階の「死と再生」を乗り越えて生きていくにはfaithが絶対必要。

FowlerのFaithの発達段階はステージ0からステージ6まであって、ステージ0(出生から2歳まで)の養育環境で学ばれる安心感がfaithの土台となるという。ちなみにステージ6は悟りの段階。FowlerのFaithの発達段階はベースがキリスト教のせいか、日本の心理学の学校では話に出てこないが、”愛着”の肝はここなのではないかと思う。

最近、ある人にセッションをして、faithというのはサムシング・グレートとのつながりのことなんじゃないかなと感じた。サムシング・グレートは無条件の愛のエネルギーであり、宇宙を統べる理であり、我々の軸となるものである。faithが養われておらず、サムシング・グレートとのつながりが切れていると、心が揺れ動いたときに、どこに戻してよいかわからなくなる。宇宙の理に照らして判断することができないため、進むべき方向を見失う。サムシング・グレートの無条件の愛を内に感じることができないため、心の渇き・満たされない想い・不安感にさいなまれ、それらを外界のものや人で埋めようと奔走することになる。逆にfaithがしっかりと自分の中にあると、無限のパワーと叡智を持つサムシング・グレートがいつも自分を支え、エネルギーを供給し満たしてくれるので、外から何かを得ることにがむしゃらになる必要がなくなる。

下丹田(第2チャクラ)は安心・安全を提供し、揺らがずに強く生きる土台となる。中丹田(第4チャクラ)は愛で満たし、喜びを持って生きられるようにする。上丹田(第6チャクラ)は宇宙の叡智とつながり、ひらめきをもたらしたり、進むべき方向を示す。Faithの発達はエネルギーシステムの発達と関連していると思う。段階が上がるに従ってだんだん下丹田のポンプが強くなり、エネルギーの到達点がより高くなって、高次のものとつながれるようになる。
Shima * 源・サムシンググレート * 18:26 * - * - * pookmark

エゴ退治

 私を含め、ライトワーカー達が行うセッションは、エゴを滅し、無条件の愛に向かう光の方向性を持っている。エゴに支配されている人は、エゴの作り出した幻の幸せを叶えることが人生の目的で、それが正しい人の道だと信じている。しかし、ライトワーカーはエゴの欲望をかなえることに加担しはしない。そこでクライアントが求めるものと、セラピストの提供するものが食い違ってしまう。この時、クライアント側にはエゴに支配されている自覚がまったくない。エゴにがっちり意識を支配され、その状態をまったく変える気がないクライアントへのセッションは、どちらにとっても利がなく、時間の無駄にしかならない。エゴは、ミノ虫のように偽善のミノに隠れているので、自分の中にエゴが巣食っていることになかなか気付けないことが多い。エゴは我が身が危うくなると、本体の意識をあやつって「自分に問題はない」、「自分は間違っていない」と、ミノでガードする。あやつり人形になった人が、エゴを守り、正当性を勝ち取る為に、周囲に攻撃を仕掛けることもよくある。

 私はサムシンググレート(源)にドボンと入って、心が愛でいっぱいに満たされる経験をした時、自分の心が普段こんなにも愛に渇いていたのかと驚いた。愛でいっぱいに満たされたこの状態こそ人間が追い求めてきた究極の幸せで、世間一般に幸せと言われているものは、渇きを癒したい欲求が生み出した幻に過ぎないとわかった。「お金が欲しい」「尊敬されたい」「美しくなりたい」「物を手に入れたい」「勝ちたい」「褒められたい」「認められたい」「独占したい」「大切にされたい」などの欲望(エゴ)の根っこにあるのは「愛の飢え」からくる心の渇きを癒したい欲求だ。しかし、エゴの求めるものをいくら得たところで、一時的な慰めにしかならず、心の渇きを完全になくすことはできない。

 「人は考える葦である」という言葉があるが、人は考える時、
 問い→答え→問い→答え→問い→答え→問い→答え→問い→答え・・・
を繰り返している。例えば、
 ランチに何を食べようか?→酢豚定食が美味しそうだ→酢豚は健康にとってどうか?
 →酢や豚肉のVBが疲労に効くし、野菜がたっぷりだ→カロリーが高すぎはしないか?
 →800キロカロリーは確かに高い→では別のものにした方が良いか?・・・・・
といった具合だ。
守護によると、この時、問いがピュアであれば、自分の内なる神が答えるが、問いがエゴに支配されていると、外の神たちが答えるという。

 内なる神は自分を幸せにするためにいる。内なる神と共にある人は、今の自分に中心を合わせている。過去に自分が経験してきたことは、良いことも悪いことも、すべて今の自分になるために必要だったもの。今の自分の良いところも悪いところも全部認めた上で、それを土台に未来の自分を創り育てる。ちなみに、土台が「今、ここ」にある状態を「グランディングしている」という。
 外の神たちは他の人を幸せにするためにいる。外なる神と共にある人は、今の自分以外に中心を合わせている。帳消しにしたい過去を持っていて、今の自分はダメだから、未来は違う自分になりたいと考える。

 エゴの支配を受けるとは、外の神の言葉に従い、他者の望む自分になって、相手を喜ばせるようなことをしたり、身を犠牲にすることと交換に、相手から愛をもらおうとすることだ。自分の心の渇きを癒せるかどうかが周囲の人の評価次第だから、心の平安をずっとキープすることが難しい。常に周囲の反応をうかがって暮らさなければならない。そもそも他者から愛をもらわないと心の渇きを満たせないわけだから、他者への依存を止められない。自分ひとりだけで心を愛でいっぱいに満たし完結する、ということができない。周囲の人を幸せにしよう、喜んでもらおうと身を粉にして働く人が、実はエゴに取りつかれているというのは、そういうことだ。自分の内なる神の手をとり、自分の内側をすみずみまで点検し、掃除して、愛の源泉を見つけない限り、本当の幸せは来ない。

 ライトワーカーのヒプノセラピーが有効なのは、セラピストが一歩離れた視点から問題を見つめ、本人に代わってピュアな問いを投げかけることが容易だということ、あるいは、セラピストがエゴの出てくる余地のない場をホールドすることで、本人がピュアな問いを立てて、自分の神と対話する機会を持てるからだ。エゴ退治には、ピュアな問いが効く。
Shima * 源・サムシンググレート * 09:17 * - * - * pookmark

今ここでしかできないこと

 昨日、起きぬけに守護いわく「悟りのために生きるなんてアホじゃ。」 なぜかというと、悟りというのは健康のようなものなのだそうだ。人生を送る上で健康であるのは良いことだが、健康のために人生を生きるというのはおかしい。では、健康を追い求めて生きようとする人はどんな人かといえば、健康ではない人だ。「健康さえ手に入れられれば、人生はもっとうまくいくのに」という状況にある。悟りを追い求め、人生のすべてを悟りを得ることに注ぎ込んでいる人の多くは、この人たちと同じ状況だ。問題を抱えているが、そこに気付かない。自分では一般の人よりもひとつ上の段階にいると思っているが、実は辛い現実にとどまって問題と向き合うことから逃げている。

 精神も体も健康で、困難に遭っても自力で解決し、満ち足りて充実した毎日を力いっぱい生きている人は、悟りを追い求めない。そんな必要性を感じないからだ。しかし、日々を暮らすうちに、いつしか悟りに到達する。それが自然なあり方なのだ。悟りとは決して特別なことではなく、身近でナチュラルな体験なのだ。

 一方、「悟りにさえ達すれば、自分の人生の問題は全部カタがつく」と思っている人は、日常的な暮らしの中で起こる出来事など取るに足りないくだらないものとして、とりあわない。低俗な日常なぞ、大事に生きる価値はないと思っている。悟りやスピリチュアルな世界で、不思議な体験や、特殊な体験ばかりを追い求める。こういう人たちはすごい体験をすることで、世間の人たちに、自分の価値を認めさせたいだけなのだ。普通の生活はつまらないと思っているから、毎日毎秒をいいかげんに暮らす。だから、大事なものが何も見えてこない。しっかりと目で見て、耳できいて、感じて体験すれば、こんなにも日常は気付きと学びに満ちているというのに。どんな人生にでも転生できるのに、なぜすべての魂が悟り直結の修行僧に転生せず、さまざまな立場の一般人に生まれることを選択しているのか?それは、普通の生活の中にこそ大事な体験すべき宝物があるからだ。

 旅をするのが楽しくて楽しくて、苦労も苦労にならない旅人がいる。毎日何かを発見し、体験し、人と触れ合って進むうちに、気がついたら天竺に着いていた。天竺に辿りつくまでに多くを経験し学んできたので、自分では気付かないうちに、どんな夢でも叶えられるほどの力を得ていた。かたや、旅をするのが苦痛で苦痛でしょうがない旅人がいる。旅をするのがいやでいやでしょうがないので、誰ともかかわることなく、わき目もふらず、一直線に天竺を目指した。フラフラになって辿りついたが、何も経験していないし、学んでいないので、少しも成長していない。そして「天竺に来れば何でも夢が叶うと聞いていたのに、話が違う。この天竺は偽物だ」と怒る。

 この3次元世界でしか体験できないことを深く味わうことなく、他次元でも体験できるような特殊な体験を追い求めるなぞ、守護たちから見れば愚の骨頂なのだそうだ。いわく「そんなものは、死んでから死ぬほど味わえばいい。」 誰もが体験できる日常的な出来事は自慢にならないが、それこそが「今ここでしか体験できない大切なこと」なのだという。


=== 追記 ===
昨日、「私が買うべき本がわかる」と意識のスイッチを入れてから、本屋の文庫本コーナーを見て回り、これだと思って手に取った本「超シンプルなさとり方」エックハルト・トール (5次元文庫 徳間書店)に、「今、この瞬間」に集中して生きる方法が事細かに書かれていた。それは思考の癖から解放されることでもあると。オススメなので気が向いた方は読んでみて下さい。
Shima * 源・サムシンググレート * 18:08 * - * - * pookmark

ワンネスと自己否定

この間、久しぶりに誘導瞑想CDなど聞いてみた。意識の高いところで拡がってみた時、こんな言葉が聞こえてきた。
「ワンネスとは、全なる自分を体感することに他ならない。自分の中に受け入れられない部分があれば、それは全なる自分となることを拒否しているのと同じ。」

「良い天気」とか「悪天候」とかいうが、本来天気に良いも悪いもない。良い・悪いと判断しているのは人間であって、本当はニュートラル(中庸)だ。良い・悪いと決め付けてしまうのは、そういう思い込み・価値観が自分の中にあるからに他ならない。本来すべてはパーフェクトなのに、人は良い・悪いとレッテルを貼って、居心地の悪い場所にしてしまう。

自分についても世間様の判断基準に従い、良い部分・悪部分とレッテルをはってしまう。全部をひっくるめて自分なのに、世間様が好ましいと言わない部分を恥じて隠してしまおうとする。汚い自分に触れることのないよう、しっかりとフタをしてそういうものがあることを忘れ去ってしまう。自分の中に弱さや怒りや欲望があることを認めたがらない。そうして、自分の中の認められない部分、受け入れられない部分を作り出してしまう。自分で自分の一部を拒否しているのだから、ワンネス(全)に至れないのは当然だ。

昔、クリスタルヒーリングを習った時、「感情は自分の状態を見るツールとして使いなさい」と言われて「どういうことなんだろう?」と思ったことがあったが、今となってはその意義がよくわかる。感情の波に巻き込まれることなく、冷静に自分の状態を観察し、何がその感情をひきおこす判断の元となっているかを探る。

スコット・マンデルカー博士は「カウンセリングとは自分を知ることだ」と言っていた。自分の一部分を否定している自分に気づき、受け入れることはなかなか難しい。彼のようなセラピストの手を借り、客観的な角度からの意見をもらうことが必要な時もあるだろう。
Shima * 源・サムシンググレート * 07:01 * - * - * pookmark

絶望的

先日、ひょんな縁から「宇宙人の魂をもつ人々」の著者、スコット・マンデルカー博士と友人ふたりと共に目黒雅叙園の百段階段見学ツアーに出かける機会に恵まれた。マンデルカー博士はとても気さくで、仕事でもないのに人生について、世界について、宇宙について、多くを語ってくれた。

百段階段は「千と千尋の神隠し」のモチーフに使われた建築物なのだが、映画の中には水の上を走る電車が出てくる。その電車には、この世にあらざるものたちが乗っているのだが、私は20年くらい前にそれと似た光景を夢で見たことがある。

夢の中で、私は波のない鏡のように穏やかな海の上、古びた木の小舟に座っている。舟の端には船頭さんが立っていて、櫂をあやつっている。すると、舟の近くを1台のバスが音もなく通り過ぎていった。普通のバスと同じようにタイヤで走っているのだが、沈むこともなく、水面にほんの少しの波紋を残しながらするすると走る。中には2〜3人乗客が見えた。船頭さんが「あれは死んだ人が乗るバスだよ」と言う。空は青く澄んで、岸辺の樹の緑は鮮やかで、白いヨットが何隻か留められている。私は「絶望的に美しい」と思った。この時の「絶望的」という言葉は「これ以上何ひとつ望むものがない」という意味で絶望だった。完全に満たされているが故に、望みが何もない、欲がすべて絶えているという意味の絶望。

この話をすると、マンデルカー博士は自分にも同じような経験があると話してくれた。ある日、公園を歩いていた時に世界のの完全性に浸ったのだそうだ。彼はその時「何ひとつ待ち望むものがない」と感じたという。

博士が言うには、絶望には2種類ある。ひどい状態に落ち込んで、助かる希望がまったくない、お先真っ暗な絶望がひとつ。もうひとつは、ここで話したような完全に満たされて、それ以上がないという絶望。

実は世界はいつも完全であるのに、その完全性にいつも浸った状態にいられないのは、私たちの中に制限があって、ハートを完全にオープンにできていないから。すべてをあるがままに受け入れたら、完全なる世界にいつでもどんな時でも浸って至福の時を過ごすことができるのだ。この世界を不完全だと思うから、望みや欲が出てくる。

この第3霊性密度の世界には、第4〜6霊性密度の存在が関わりサポートすることができるのだが、実際には助けたいという欲を持つ第4霊性密度の存在しか介入しないらしい。第5・6霊性密度の存在は世界の完全性に浸り、あるがままですばらしいと思っているので、何かをする必要性を感じないのだという。

完全に満たされた状態、完全な光の中にあるが故に、それ以上の光が望めないところに行き着いて欲が停止するか、あるいは、それと逆のベクトルで、すべての希望を失い、光明の見えない完全な闇の中で欲が停止するか。光と闇、ふたつの絶望のどちらを選ぶかは本人次第。どちらを選んでも究極まで行き着けば煩悩の火は吹き消され、涅槃の静寂に停止する。
Shima * 源・サムシンググレート * 18:18 * - * - * pookmark

レベルアップ

魔女友Cちゃんがホーリーバジルを取りに来たついでに、交換セッション。時間があまりなかったわりに面白いワークだったので、覚え書き。

Cちゃんは「最近、身も心も絶好調よ」と言ってたのだけど、足に触ってヒーリングをスタートしてみるとエネルギーがもごもごしてる。あっちこっちを調整してて、簡単には終わらない。体のバランスが崩れていて、特に足先が痛々しい。本人は「そんなはずはない」というので、軽くヒプノ状態に入ってもらい、守護を呼んで話をしてもらった。いわく「外側が楽しくて絶好調だからそう思えるけど、内側はがたがたになってる」とのこと。

しばらくセッションを続けると、お腹のあたりから光が立ち上るのが視えた。彼女に聞くと、それは光の柱になり、パイプになり、腹に穴が開いて向こうの世界とつながったという。去年までは第三の目を使って世界とつながっていたのが、スピリチュアル気功をやるようになって胸で宇宙とつながるようになったのだが、さらに下がって今度は腹でつながるとのこと。腹でつながる方が安定するし、より普段の状態でつながれるのだそうだ。Cちゃんは胸でつながるようになってから何度か幽体離脱をしたのだけど、幽体離脱中はアホになっていて「壁抜け、壁抜け、楽しいな〜♪」って、一晩中壁抜けしたりしてしまい、体に戻ってから「何やってんだか・・・せっかく幽体離脱したんだから、もっと他にやることあるだろうに」と自分のことながらあきれていたらしい。腹でつながればそういうことはなくなるようだ。さらに先があって、次はかかとの間あたりでつながるのだそうだ。そこまで行くと、向こう側とこちら側の境がほとんどなくなって、普通に行ったり来たりできるようになるらしい。そうなる為には、気の重心がもっと奥に進む必要がある。
そもそも気の重心とは、ワンネス(合一)の度合いだそうで、どれだけ分離感を手放せているかにかかっている。分離感が強ければ強いほど、人生はうまくいかない。周囲が敵に見えてしまったり、自分の力の限界が狭くなってしまうからだ。まず最初はこの世界との一体感を得るところから始まる。この世界は「発する」世界。次は宇宙との合一を識る。宇宙は「与える」。さらに行くと「無」あるいは「空」の世界に入る。動きのない世界。そして、次は「有」あるいは「全」というべき世界に到達する。すべてが完全なリズムで完結している故に動きがない。神聖幾何学で描かれるのは、地上から見たこの世界だという。さらに先もあるが、3次元世界の体ではこの辺が限界。
守護によると、これまで彼女はありのままの自分を取り戻す為の浄化を続けてきたが、ここからはレベルアップになるという。今後、腹のパイプでつながるようになって、どのような変化が起こるのか、楽しみだ。
Shima * 源・サムシンググレート * 12:22 * - * - * pookmark

モードチェンジ

スピリチュアル気功、全5回の対面セッションを受け終わりました。片道2時間もかけ、セッション代と交通費を払って、雪の中を通ってるんだから、何かCDを超えるものを体験させてもらわないと元が取れないぞ〜などと思っていたわけですが、5回目はばっちり、予想以上の収穫でした。

最終回はデジタルモードといって、今までの温かいモード(下丹田・腹からの収縮気優位)・涼しいモード(中丹田・胸からの拡大気優位)というアナログモードをベースにして、仕事モード(収縮気:拡大気=6:4)・瞑想モード(2:8)・体外離脱準備モード(1:9)・体外離脱モード(0:10)を体験させてもらいました。先生が頭の上をコツンとつついて「ピッ、○○モード」という度に、体のエネルギーの流れが変わるのが如実にわかります。収縮気が多いと、文字通り下半身が収縮する感じ。拡大気が多いと胸のあたりがブワッと膨らむ感じがします。体外離脱については、また別記事で詳しく書きますが、今回一番の収穫はこのモードチェンジです。帰りは家までの2時間、「瞑想モード」とか「対外離脱モード」とか単語を思い浮かべる度に自分の体のモードがチェンジしはじめるので、その都度「仕事モード」「終わり」と言い聞かせて戻さねばならず、大変でした。(今は落ち着いて制御できるようになったので、大丈夫です)
それで家に戻ってから、落ち着いてデジタルモードの復習をしようとして「ヒーリングの時は瞑想モードと仕事モードのどっちなんだろう?どっちかっていうと瞑想モードだよなぁ」と思い、試しに「ヒーラーモード」と宣言してみたら、自動的に調整が始まりました。「おお、スゴイ!これ使ったら何でもできるよ」というわけで、「浄化モード」だの「美人モード」だの「お掃除モード」だの、思いつくものを次々と試してみました。するとちゃんとそれ用のモードに変化するんですよ!しかも、必要があれば、ちゃんと源の智恵ともコネクトしてる。これを使ってオリンピック選手が「金メダルモード」でプレイしたり、発明家が「ダビンチモード」で研究したら、すごい効果があるんじゃないかなと。

今まで意識体から体への意志伝達がちゃんとなされていなくて、体は出たとこ勝負のいきあたりばったりで事に当っていたのだなぁと思いました。ちゃんと体に「これから○○をやるからよろしくね〜」と伝え、全面協力してもらうことは重要ですね。

先生にメールする機会があったので、モードチェンジの話をしてみたら、デジタルモードでは、先生チョイスでわかりやすいものを教えているのだそうで、女性の方で「ダイエットモード」を試した方もいらっしゃるとか。その女性は「身体の内側から筋肉をほぐす様な動き」を体感されたそうです。そういうステキな話は体重が気になるお年頃の女性クライアントみんなにシェアしておいてもらわないと〜。先生ったら、乙女心がわかってないなぁ。(↑先生はとても真面目な方です)

モードチェンジができるようになる為の基本は温かいモード・涼しいモードなので、「できるようになりたいぞ」という方はまずCDブックで自己トレをしてみて下さいませ。
→→→ スピリチュアル気功CDブック
Shima * 源・サムシンググレート * 10:27 * - * - * pookmark

気の重心 経過

今日スピリチュアル気功の3回目に行って来た。1回目・2回目と対面セッションを受けても何だかさっぱりわからなかったのだが、CDで「おお、これか!」という手ごたえがあったので、ここ1週間は毎日CDで自己トレをしていた。前回のセッションの次の日、Cちゃんに気の重心を視てもらったところ、太もものあたりだった。その次の日、CDで自己トレをやっている時、「あ、いま気の重心が足の甲にある」という感じがあった。このあたりから、足の裏の真ん中から何かがずーっと「ももももも」と出ている感覚がずっと続くようになる。さらに次の日は途中で寝てしまって、CDの「終わり」という言葉で目を開けたら、周囲が宇宙だった。月曜日にCちゃんに視てもらったら「地球の中心まで来てるね」とのこと。で、今日の対面セッション後には気の重心がしっかり宇宙の中心まで降りていた。おそるべし、CD! 今日、雪の中を片道2時間超かけて通う必要があったんだろうか・・・家でCD聞いて自己トレしてても変わらなかったかもな〜とかも思いつつ、せっかくなので先生からいろいろ話を聞いてきた。

気の重心が下がりにくい人というのは、まず目を良く使う人。パソコンや読書・頭を使うのが大好きな人。不安・恐怖の強い人。我慢する癖があって、発散せずに溜め込む人。性別では、男の人の方が下がりにくい傾向があるという。(←それで男性の方が寿命が短いのかな?)

霊視・チャネリング・リーディングなどで第3の目を良く使う人は、下丹田(第2チャクラ)と中丹田(第4チャクラ)がよほどしっかりしていて、かつ下丹田より下に重心を置いてワークするようにしないと確実に体を壊すそうです。気の重心を宇宙の中心まで下ろし、胸から体外離脱をする体験をしてから、第3の目ではなく、胸で視るようにすると体に負担がない。せっかくすばらしい力が与えられているのだから、体に負担のないように上手なバランスで活用して欲しいとの話でした。

私はCDでも対面セッションでも、未だに頭寒足熱の温度の感じがないんだけど、それは拡大気がまだ充分に出てないせいらしい。「涼しいモード(拡大気)の時に胸の上がずーんと重苦しい感じがします」と言ったら、「それは胸のところ(中丹田)が詰まっていて、拡大気が出にくいからです」とのこと。ものすごく納得。当面の課題は拡大気がしっかり出るようにして、体に温度感覚を蘇えらせることだなぁ。エネルギー的なものに慣れすぎていると、プリミティブな身体感覚をすっとばす傾向になりがちなので、気をつけないといけないそうな。

セッションの終わりに、気の重心が変わるとどんな感じなのか、体験させてもらった。先生がコンッと軽く頭をたたく度に、気の重心が変わる。この気功を始める前の重心に戻してもらったら、体が重い、重い。特に両手がすごく重い。そして歩くと左右にふらつく。今日のセッション後に戻してもらうと、体が軽いし、歩いても全然ブレない。昔はあんなに重苦しくブレる状態でいたのかと思うと、そら恐ろしい。気の重心は、一日のうちでも上に行ったり、下に行ったり変化しているという。例えばケガをしてパニックしたりすると急激に上がるらしい。そういう時こそ、意識的に下げるようにすると痛みがひいて治癒もスムーズになる。
Shima * 源・サムシンググレート * 19:35 * - * - * pookmark

宇宙の中心へ

魔女友Cちゃんがすごいと絶賛する佐藤気功センターに通っております。気の重心をどんどん下げていくというオリジナル気功で、頭→丹田→足の裏→地球の中心→宇宙の中心と気の重心を下げていくもの。昨日、全5回の2回目に行って来たのですが、気の重心はまだよくわからない。施術後は頭寒足熱になるはずなのが、全然ならない、ガックリ。

Cちゃんは2回目で地球の中心、3回目で宇宙の中心に至り、4回目で幽体離脱して、5回目にはワンネスを体験したとのこと。普通の幽体離脱は眉間から出て行くもので、出る時に独特の気持ち悪さがあり、体への負担が大きいらしいのですが、ここで体験する幽体離脱は胸から出るもので、もっと物質的な実感があって「練り物」的なのだそうです。体への負担もかからないとのこと。ワンネスは「世界のすべてが自分、いや実は自分なんてものはない」という体験なのだそうです。

この気功を家でも手軽にできるというスピリチュアル気功CD Bookというのが出たというので、買って帰って試したところ、すごい!1回やっただけで、いろんなことが起こりました。対面でやってもらうより、CDの方がいいかも・・・などと失礼なことを思いつつ、就寝したところ、夜中にガバッと目が覚め、そこで守護がいうには、普通の人は宇宙の中心を中心として世界が動いている。だから、その動きによって揺らいで影響を受けてしまう。揺らがない為にアンカー(いかり)を降ろす。そのアンカーが気の重心。アンカーの位置が深ければ深いほど揺れなくなる。そして宇宙の中心にアンカーを下ろすようになるが、それで終わりではない。次のステップは自分が宇宙の中心そのものになることだ。そうすれば宇宙が自分を中心として動くようになるから、決して揺らがず、ありのままでいられる。静止点として世界を観察するようになる。

実は3月にホ・オポノポノのセミナーに参加することになっているのだが、宇宙の中心になるという感覚はこれにつながっていく流れらしい。

本当は気功の先生に通っている間はパソコンと本を読むのを控えるように言われているのだけど、これだけはどうしてもメモっておきたかったので、ちょっと書かせてもらいました。
Shima * 源・サムシンググレート * 10:43 * - * - * pookmark
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