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有の世界、無の世界

仲良しの魔女、Cさんから電話があって「なんで宇宙が存在するのかヒプノで見てみたい」とのこと。「朝っぱらから、すごいテーマだね〜」と思いつつ軽く誘導すると、アルフレアなる存在が現れた。彼女に大きな輪のような、中がミルフィーユのように幾層にも入れ子になって重なり合った丸い宇宙のイメージを見せて「隅から隅まで見渡して見なさい」という。答えの意味がよくわからないからと、もう一度問うと「答えは自分にききなさい」という。そこで本人に問うと「私がここにいる、存在している為に宇宙がある」という。三次元の肉体を持つ私たちは、時の流れを始まりと終わりがある一直線のものと思っている。しかし、実際にはそうではなくて、今「ここ」という瞬間に焦点を置いて見ている、位置を決めているだけのことだという。そして、陰陽のバランスをとるように、「無」のCさんとバランスする為に、「有」のCさんが存在するのだという。ここにいるCさんと表裏一体の「無」にいるCさんが存在して、「無」を楽しむ為に、「有」を作ったそうだ。始まりも終わりもない「無」の世界を我々の三次元の頭で完全に理解することはできない。あえて説明してみれば、「無」の世界は宇宙の源とか、悟りの境地とか言われている丸い内側の世界で、すべてがひとつになっているという。対して、こちら側の世界は、外側の世界で、直角的で、ひとりひとりが個になっている物質世界。「無」のCさん側から、「有」のCさんを感じた時、彼女は「楽しい」という感覚に浸された。それは何かをしたから楽しいというのではなく、ここに存在すること自体が楽しいのだという。本来、「楽しい」ということに理由は必要ない。doではなく、beの楽しさ。理由がある楽しさは、理由がなくなれば楽しくなくなる。しかし、理由がないから、いつまでも生きている限り楽しい気持ちでいられるという。「無」の世界を体験することで、「有」の世界のすばらしさが再認識される。「有」の世界でしかできないことがここにはある。人は悟り(無)の世界に憧れを持っている。悟りという自分の知らないものを知りたいという探究心を持っている。ここにいない自分を知りたいのだ。しかし、知識のすりこみが邪魔をする。かつて「無」を体験することはもっと身近なことであった。ところが、宗教などが「厳しい修行をしなければ到達できない特権的なもの」というすりこみを強く人に植え付けた為、普通の人は到達できないと思い込まされてしまった。その思い込みが強い為に、眠っている時とか、ヒプノセラピーを受けている時とか、表層意識による「できっこない」という邪魔がない状態でないとなかなか到達できない遠いものになってしまった。「無」の自分から、「有」の形ある自分を確認することを繰り返すと、すべてを楽しめるようになる。操縦桿を握って、ありのままの自分を楽しんで生きられる。そうして暮らすうちに、同じ感覚の人に出会い、そこに偽りはなくなる。見栄や自分にウソをつくことがなくなり、正直にかわる。すべてのことに感激するようになり、あらゆることが成功になる。物質的な成功と結びつけば、大きな輪になり、みんなが楽しんで生きられる共存が可能になる。
Shima * Life * 20:00 * comments(1) * - * pookmark

コメント

素晴らしいです。
私は瞑想や臨死体験の経験から、何も無い と 全て有る は同じだと考えてましたが、無のCさんと有のCさんという表現にハッとしました。
宇宙ってやはりこういう事だったんですかね。
Comment by l @ 2014/01/18 1:01 AM
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