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共依存の檻

テレフォンカードが出たばかりの頃、大学の教授がこんなことを言った。「テレフォンカードなんていうものはない方が良い。長電話されて迷惑なだけだ。」当時はまだ携帯電話もインターネットもなかった。横浜で下宿生活をしていた私は、佐渡島の実家の両親と連絡をとるのにもっぱら公衆電話を利用していた。テレフォンカードができるまでは、百円玉・五十円玉・十円玉をいっぱい集めて電話しなければならなかった。電話が途中で切れないよう硬貨をどんどん入れないといけないし、お金の落ちる音がチャリンチャリンとうるさい。テレフォンカードができてどんなに便利になったことか。また別のときには「電車のホームのアナウンスがうるさい。毎日毎日同じことを繰り返し言う必要はないだろう。やめてしまえばいいのに。」と言っていた。しかし、今日初めて電車に乗る子供がいるかもしれない。目が見えなくてアナウンスを聞かなければ電車の接近を知ることができない人がいるかもしれない。

自分と違うバックグラウンドを持つ人がいて、まったく違う感じ方・見方・考え方を持っているという想像力が働かないというのは、その人が狭い世界に住んでいることを意味する。いつも自分と同じような価値観を持つ人とばかりつきあっているということだ。世界を広げるには、自分とはまったく違うグループに属する人と話をしてみることだ。自分と違う職種・宗教・世代・性別・国・趣味・・・・、自分と違う価値観を否定するのではなく、世界を自分と違う角度から眺める人がどのように感じるかを理解すること。それがどれだけできるかで、人の器の大きさが変わる。

人は共依存的であればあるほど、自分と違う価値観を持つ人とはつきあわなくなる。共依存者は、他者の評価によって自分の存在価値を確認するから、相手には自分と同じ価値観を持っていて欲しいのだ。自分が良いという価値観に基づいて行ったことを、相手が良いと評価してくれなければ、自分の努力が無駄になってしまう。だから、できるだけ自分と同じ価値観を持ち、自分に良い評価をつけてくれる人ばかりで周囲を固めようとする。しかもそれは無意識レベルで行われる。

共依存者は、自分の子供や配偶者・恋人・友人を持ち駒のように扱い、人との付き合いにまで口を出す。自分の目の届かないところで、違う価値観を植えつけられては都合が悪い。だから、新しい友達や知り合いができたと聞けば「家に連れてらっしゃい」だの「一緒に遊びに行きましょう」だのと言って、チェックする機会を作る。何かにつけて家族やパートナーがしゃしゃり出てくる家は共依存体質の場合が多い。それで「あんな人とつきあってはいけない」だの、「あの人は良い人だから、見習いなさい」だの、自分の判断を押し付ける。しかし、人と人との出会いは大いなる宇宙の意志によって計画され実現するもの。地上の一般的な価値観で計れるものではない。「悪い友達」と言われるような人であっても、多くの気付きと学びの機会を提供してくれるならば、魂的にはすばらしい友達と言えるかもしれない。

共依存者は子供やパートナーや友人が自分の目の届く範囲から出ないように手をつかんで、自分が了承した道しか行かせない。たまに手から離れて冒険して転んだら、「それ見たことか、私の言うことを聞かないからだ」とののしり、さらにがっちり手をつかむ。そうして小さな世界に閉じ込めてしまう。同じ価値観を持つ狭い人間関係の中で、ぐるぐる回り続ける共依存グループを作り、メンバーを外に出さない。安全という名の下に、不健全な檻(おり)を作る。その中は、限られた成長と進化しか望めない変化の少ない世界。

子供やパートナー・友人に対して本当の愛を持っているなら、好きなようにさせてやる。束縛しない。執着しない。自分の行きたい道を行かせてやる。「自分の人生は100%自分で決める」という人生の基本をおろそかにしない。自分の目の届かないところに行っても放っておく。それで転んでケガをして助けを呼んだら、助けてやれば良い。助け起こして、またひとりで歩いて行けるよう励ましてやる。人は、違う価値観を持つ人たちとの触れ合いの中で、新しい視点を得たり、いろいろなことに気付いて成長し、世界を広げていく。

どこにでもべったりついていく親やパートナー・友は、生霊が憑いているのと同じ。そんなことをしないように、させないように。
Shima * 依存 * 18:58 * comments(1) * - * pookmark

コメント

ありがとう。
元気が出ました。
Comment by tomoe @ 2011/05/23 11:38 AM
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