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1枚の絵をみるように

 絵をみるとき、小さな部分部分をみていたのでは、全体がわからない。この部分は黄色が塗られていて、こっちの部分は茶褐色が塗られているなどというのは、まったくもって意味がない。人生も同じ。小さな部分部分に囚われていると、全体の絵がみえない。テーマがわからない。

 

 画家が魂を込めて描いた絵には、みた人の人生を変えてしまうほどのパワーがある。その絵と対峙したとき、我々の存在全体に響いてくるものがある。人から生み出された作品でさえそれだけのパワーがあるのだから、まして生身の人間は底知れない。

 

 フラットランドに毒されている人は、他の人と会った時、相手の部分部分には注目するが、1枚の絵をみるようにその人を味わっていないことがある。絵をみるときに、絵画の価値や値段、批評家の論評、どこの美術館に飾られているのかなど、外部的なデータに頼って絵の価値を判断するように、人についても社会的な地位や持っているリソース、利用価値で人を値踏みする。しかし、そんなデータをいくら集積したところで、本当にその人を「わかる」ことはできない。

 

 自分の魂に響いてくるその人の存在感、その人の人生を貫くテーマは何か・・・あたかも素晴らしい絵画を味わい尽くすように人をみる。その見方は自分自身をみる時にも働いている。他者の「利用できる部分」しかみない人は、自分をみるときも全体ではなく、部分しかみていない。

Shima * Life * 08:29 * - * - * pookmark
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