<< 時間感覚 | main | パズル >>

役割

 人は誰かと関わるとき、相手との関係性によって生じる役割を演じる必要性に駆られる。例えば、相手が先生であれば、いわれた通り素直に従う「よい生徒」となるよう求められる。相手が上司であれば「よい部下」、相手が親であれば「よい子」、相手が配偶者であれば「よい妻」もしくは「よい夫」、相手が医師であれば「よい患者」であるよう期待されるだろう。人は誰かと関わるとき、相手がどんな役割を自分に望んでいるかを鏡のように映して、半ば自動的に反応する。

 

 そうやって、いつもいつも役割を演じていると、いつのまにか役割が自分そのもののようになっていってしまう。「すべての役割をひっぺがしたら何も残らなかった」「役割を与えられればこなすことができるが、何でもしていいと言われると、何をしたらよいのかわからない。自分が本当は何をしたいのかさっぱりわからない」などという人が増えてきている。それで本当に自分の人生を生きているといえるだろうか?

 

 光と闇、プラスとマイナス、右と左、上と下、善と悪などなど、対極にある2極の間で「バランスする」とは、2極の真ん中で静止することではなく、ふたつの極の間を臨機応変に自由に行き来できることをいう。そして両極の間を行ったり来たりする振り子のような動きによって生命力が生まれる。

 

 「役割」は相手(あるいは社会)が求める理想像であるから、対極にあるのは「ありのままの自分」ということになる。役割の方に固着すれば、ありのままの自分を失くしてしまう。ありのままの自分に固着すれば、社会的な居場所を失ってしまう。

 

 私がエネルギーワークのベースに使っているクラニオセイクラル・バイオダイナミクスでは、クライアントに対して一切の働きかけをしない。ただただクライアントの内のエネルギーの満ち引きを見つめ、サムシング・グレートが起こるべきプロセスを完遂する場をホールドする。クラニオセイクラル・ダイナミクスのセラピストはクライアントに対して何の働きかけもしないための訓練を受ける。セラピーの間、セラピストはひたすら透明に、無になる。役割は相手の望みによって生じるわけだが、このワークではセラピストはクライアントに何も求めず、自らも無となっている。そうなると、受け手も役割をはぎとられて無に帰っていくしかない。ここが他のセラピーにはないユニークなポイントといえるだろう。

 

 瞑想を何年も続けている方達によると、私のエネルギーワークでは、手を触れられてすぐに深い瞑想状態に入って、自分をやすやすと明け渡すことができるそうだ。そうすると、ふだん役割に縛られ続けて生きている方達の意識の振り子を、対極方向に振ることができる。そこで、ありのままの本来の自分に出会うことで、自分の軸がはっきりする。また、その振り子が振られる動きによって生命力が生じ、個としての生命力と、社会的な生命力の両方が回復する・・・なんて一挙両得のおいしい効果があったらいいんだけど、どうかなぁ。

Shima * Life * 16:28 * - * - * pookmark
このページの先頭へ