1枚の絵をみるように

 絵をみるとき、小さな部分部分をみていたのでは、全体がわからない。この部分は黄色が塗られていて、こっちの部分は茶褐色が塗られているなどというのは、まったくもって意味がない。人生も同じ。小さな部分部分に囚われていると、全体の絵がみえない。テーマがわからない。

 

 画家が魂を込めて描いた絵には、みた人の人生を変えてしまうほどのパワーがある。その絵と対峙したとき、我々の存在全体に響いてくるものがある。人から生み出された作品でさえそれだけのパワーがあるのだから、まして生身の人間は底知れない。

 

 フラットランドに毒されている人は、他の人と会った時、相手の部分部分には注目するが、1枚の絵をみるようにその人を味わっていないことがある。絵をみるときに、絵画の価値や値段、批評家の論評、どこの美術館に飾られているのかなど、外部的なデータに頼って絵の価値を判断するように、人についても社会的な地位や持っているリソース、利用価値で人を値踏みする。しかし、そんなデータをいくら集積したところで、本当にその人を「わかる」ことはできない。

 

 自分の魂に響いてくるその人の存在感、その人の人生を貫くテーマは何か・・・あたかも素晴らしい絵画を味わい尽くすように人をみる。その見方は自分自身をみる時にも働いている。他者の「利用できる部分」しかみない人は、自分をみるときも全体ではなく、部分しかみていない。

Shima * Life * 08:29 * - * - * pookmark

重荷

 友達の結婚式などで何度も歌わされたのですっかり覚えてしまったのだけど、讃美歌で「いつくしみ深き友なるイエスは 罪・咎・憂いを取り去りたもう こころの嘆きを包まず述べて などかは降ろさぬ 負える重荷を」というのがある。この「重荷」について、先日、ある方の守護様が面白いことを言っていたのでシェアしておきたい。

 

 ボディワーカーの間では「こころの重荷をたくさん背負っている方は肩こりになる」と言われているが、守護様がおっしゃるには、この重荷というものは幻なのだそうだ。確かに物理的には何も背負ってないわけで、心理的に重圧を感じているだけなのだから、幻といえば幻なのだろう。守護様いわく、「人の重荷はイエス・キリストが代わりに背負うと誓ったのであるから、さっさと渡してしまって、こころ軽やかに淡々となすべきことをなし、気づくべきことに気づき、学ぶべきことを学んで成長しなさい。重荷の重圧で身動きできなくなるなんてことのないよう、伴に道を歩く神に荷物持ちをしてもらいなさい。」

 

 私の守護がいうには、個が幻の重荷に苦しむのは、全とのつながりが切れてしまっているからなのだそうだ。先述の守護様がいうとおり、自分が大いなるものとしっかりつながっていれば、どんなに大変なことが起こるとしても、それは自分が背負う重責にはならず、大いなるものが受け止めてくれる。重荷を感じている時は、個に偏っているから、全の方に振り子をふるよう意識すること。この世界で起こることはすべては大いなる宇宙の意志によって編み上げられるタペストリーのようなもので、どのような模様が紡ぎだされるかについて個人が思い悩んだり責任を感じる必要はない。

Shima * Life * 17:54 * - * - * pookmark

意識に上げる

 「エネルギーで解放できるものはできるだけ意識に上げずに開放して下さい」というのがうちのクリニックの院長の方針。トラウマ体験などを言葉に出し意識に上げることで、クライアントさんが苦痛を再体験することは大きな負担になるし、かえって傷を深めるようなことにならないとも限らない。本人の中で漠としていたものが言葉を得ることで焦点化され形を成してしまい、大きな影響力を持つようになってしまうこともあるかもしれない。

 

 エネルギーワークで解消できるレベルのものはできる限りエネルギーワークで終わらせるようにしているが、時々「これは意識にあげて本人のOKをもらわないと開放できないやつだ」という感触を得る時がある。例えば、過去の出来事をきっかけにエネルギーシスト(負のエネルギーの塊)とある種のスキーマが同時に形成されている場合。この時、スキーマはきっかけとなった出来事と関連した刺激に反応して活性化する神経伝達回路を脳内に形成している。エネルギーは人の意に従って働く性質があるため、溜めこまれた感情的なエネルギーを解放するだけではなく、スキーマを新しいものに書き換えて別の回路を作らないとエネルギーシストが再生されてしまう。

 

 家族療法を実践している先生から「偽解決」という言葉を習ったことがある。本人が問題解決のためにやっている方法が結果的に負のループを作り出してしまっている状態といったらわかりやすいだろうか。よくあるのは、人生のある時点で効果的だった方法を、周囲の環境・人間関係・自分の状態などが大きく変化したにもかかわらず、やり続けているパターン。親や先生などの権威者に教え込まれた方法を手放せずにいるケースも多い。本人は問題解決のために良かれと思ってやっているのだが、解決につながらないどころか、新たな問題を生じる結果になっていたりする。このような場合は、手を触れたときに感じられるエネルギーシストを解消する前に、言葉によるワークをする必要がある。その方法がもはやうまく機能しない状態になってしまっていることを理解していただき、手放すことを了承してもらって、より健全で効果的な方法に入れ替える。今のその人にとって一番良い方法はクライアント本人にしかわからないから、必ず御本人にたずねて、本人の口から語られた方法にする。言葉にして意志を宣言してもらうことで、エネルギーも意志に添って動き始めるし、脳にも新しい回路が作られはじめる。スキーマはこれまで本人の役に立とうとがんばってきているので、本人からお礼とお別れの言葉を述べてもらってから解放することが多いが、この時、エネルギーシストに閉じ込められていたエネルギーが急激に周波数を上げて天へ帰っていくのが視える。

 

 このようなワークを提供できるのは、ソマティックもサイコロジーもスピリチュアリティも全部OKにして取り込んでいるホリスティックなクリニックならではと思う。それぞれの技法がただ足し算されるだけではなく、相乗効果で何倍にもなるところがホリスティックの醍醐味だろう。

 

 

Shima * 意識 * 17:31 * - * - * pookmark

不安の効能

 何が怖いのか対象がはっきりしているものを恐怖、何を恐れているのかよくわからず漠然とした怖さを感じている場合を不安という。

 

 ヒトの子育ては本能よりも学習(座学だけでなく、観察や体験も含む)によって遂行される面が大きいが、動物界では子育ては基本的に遺伝子にプログラムされた本能によって営まれるようになっている。ところが、時々ものすごく子育てが下手な個体が発生するらしい。子育てが下手な母は子が安心して過ごせるような環境を提供しないため、子は不安が高く神経症的に育つ。そして、そのような環境で育った子は周囲の状況に対してとても用心深く、外界からの刺激に過敏に反応するため、能天気な個体がうっかり死んでしまうような場面に遭遇しても生きのびることができて、種としての生存確率が上がるのだそうだ。いま人類が暮らす世界では、本能で対処しても解決できないような思いがけない危機に見舞われることが多い。安定型の愛着を形成できない子育て下手の親が増え、神経症的な個体が増えてきているのは、ある意味必然なのかもしれない。

 

 活魚を移送するとき、同じ種類のものばかりを水槽に入れて運ぶと、何十匹も死んでしまうのだが、1〜2匹天敵を入れてやるとほとんど死ななくなるという話をきいたことがある。捕食されるのは数匹なので、天敵を入れておいた方が生存確率が上がる計算になるという。

 

 一昔前まで、ある国では羊を襲う狼が問題になっていた。しかし、狼が羊を狩ることで、実は自然な淘汰が行われ、強い羊だけが生き残って羊全体の健全度が保たれていたことがわかったそうだ。狼の脅威がなくなった現代、脆弱化する羊たちを人間が適切に管理しなくてはならなくなったらしい。

 

 ナショナル・ジオグラフィックにアマゾンの孤立部族の写真が紹介されていた。80〜100名程度の村は4年ごとに移動しているそうだが、共同住居の周りではトウモロコシやキャッサバ、バナナなどが栽培されており、充分な食糧が確保できているらしい。撮影のヘリコプターに向けてたくさんの矢を放ってきたというから、狩猟もしているのだろう。彼らは何万年も前と同じ生活をずっと営み続けている。これからも食糧資源が枯渇したり、病気が蔓延するような自体にならない限り、そのままの生活スタイルを続けていくだろう。

 

 鈴木規夫師匠の名言に「シーラカンスは困らなかったからシーラカンスのままだった」というのがある。「このままでは生きていけないかもしれない」という危機感・不安感は人を前に進ませ、成長・発達を促す原動力となる。

 

 加藤洋平氏が「卓越性研究の最前線」ゼミで「極めて高いクリエイティビティを示す人の中には、自身の中のシャドウに追い立てられ、鬼気迫る勢いで創作や探求に没頭することで高い創造性を発揮しているケースが少なからずあるようだ」と話していた。シャドウは意識によって封じ込められた心の暗黒面であり、通常シャドウが自分の中に存在することに気づくことはない。得体の知れない不穏なものが自分の中にあるのをうっすら感じているかもしれないが、意識に上げようとすると検閲がかかってまた闇の中へと押し戻されてしまう。確かに卓越したものを持ち、ヴィジョン・ロジックに足を突っ込んでいるような方達を眺めてみると、シャドウに追い立てられて生きてきたタイプが多いように思う。周りの人達に「もう充分じゃないか」といくら言われようと、自分の中の鬼に追い立てられて先へ先へと進まざるを得ない。どんなにすばらしいことを達成しようと、自身の作り出した無間地獄の中へと引き戻されていく。傍から見れば痛々しい人生だが、ずっとそうやって生きてきた人には、それが当たり前になっている。彼らの内面世界には、片時もやむことがない悲壮で美しく重厚な音楽が響き渡っているようだ。

 

 私が月2回コーチングを受けているチャド・スチュアート氏によるとシャドウはTrue self(真我)の傷つきによって生じるという。シャドウはサバイバルするための強力なDriverとして働くこともあるが、いくらもがいても傷は維持されつづけ、痛みはなくならない。シャドウに対する適切な介入がなされた時、やっと傷は癒され、シャドウのPolarity(極性)が転換して、闇が光に、黒いエネルギーが白いエネルギーに変わる。その人を半ば奴隷化していたDriverの力は、True selfからPullされる力に変わり、自分自身の中の神聖なるものに導かれるようになる。エロス(上昇)からアガペー(下降)への転換も起こる。

 

 発達段階によって自分の意識の中に含めておけるタイムラインが違う。目安として他者利用型段階(段階2)では1週間先位まで、神話的合理性段階(段階3)で1か月程度まで、前期合理性段階で1〜3か月、後期合理性段階(段階4)で3ヵ月〜1年とのこと。例えば、他者利用型段階では時間軸がごく短く、目先のことしか考えないため、美味しい話と思えば後先考えずすぐ喰らいつく。先々どうなっていくかなど考えないため、将来に対する不安がない。「今ここに集中して生きている」といえばカッコイイが、いきあたりばったりともいえる。小さい子どもが数をかぞえるとき「いっこ、にこ、さんこ、いっぱい」とかいって4個以上は全部同じになってしまうように、彼らにとって1週間以上先のことは5年先、10年先と同じぐらい先すぎて想像できない霞がかかった世界なのだ。「その頃にはいろいろ状況が変わっているだろうから、今から考えたってムダ」ということになる。彼らが失敗した時によく言うセリフは「そんなこと考えてもみなかった」で未来に対して徹底して無責任ともいえる。これに対して、意識段階が高く、何年も先まで意識の中に捉え続けられる人達は「数年先には何が起こっているかわからない。何が起こっても大丈夫なように今から十分な備えをしておかねば」と考え、その時々の変化を的確に捉えながらたゆまぬ努力を続ける。こういった人達は、先のことまで常に常に意識に含めて考えてしまうがゆえに、段階が低い人達よりも不安が高い。しかし、逆にいうと、不安がない人は未来について思いわずらわないし、考えて備えることもないということだ。神話的合理性段階の部下を持つ上司は、部下に不安を与え、タイムラインでもっと先々まで考えさせるような指示を与えることを忘れないようにしないと、いろいろやらかされる。

Shima * 意識 * 13:38 * - * - * pookmark

エネルギー場

 スピリチュアルブームでパワースポットめぐりが流行っているが、パワースポットとして有名な場所に行ってみたら「これのどこがパワースポットなの?」ということがよくある。神の気配というか、神様特有のエネルギーが感じられないのだ。ご利益が目当ての人が集まる神社は、ヒトが祀られている場合が多いように思う。本物の神はエゴまみれの願いをきいてくれようはずもないから、ご利益目当てなら、それをわかってくれるヒト神の方がいいのだろう。日本の神社には邪悪なものを封じ込める目的で作られているものもあって、政治的に抹殺されたヒトの御霊を鎮めるために作られた神社もけっこうたくさんある。例えば「ライバルを蹴落として自分が勝ちたい」など、祀られているヒト神の怨念の方向性が自分の願いと合致する場合は、願いを叶えるのに役立つこともあるかもしれない(私はそういうのは嫌いだけどね)。ともかく、お参りに行く前に神社の縁起は確認しておいた方がいいだろう。神のいる神社とヒト神を祀っている神社とでは全然エネルギーが違う。本物の神がいる神社には、我欲で濁った人のエネルギーを清浄に洗い清め、心を鎮めるエネルギーが流れている。お参りに来られた方の不要なエネルギーをはぎ取ってから、必要なエネルギーとつないでくれる感じだ。神社には鏡が置かれているが、あれは「穢れが取り払われた己の真の姿を映し、その中の神を見よ」ということだ。外の神に頼るのではなく、自分の内なる神に導かれて生きるのが本来あるべき姿だろう。

 

 話を戻すが、ご利益を求めてパワースポットを訪れる人たちのほとんどは、自分自身で神のエネルギーを感じてはいない。私の場合、例えば初めて来た街を歩いていて「なんか稲荷くさいな」と思っていると、稲荷神社に出くわす。「この神社は血なまぐさいな」と思いつつ入ってみたら、戦国武将の甲冑がまつられていたなんてことがあった。熱田神宮では草薙の御剣の清浄なエネルギーが滝行を受けているかのように浴びせられるのを感じた。こういう感覚はサトルボディやコーザルボディを通じて得られるものだ。グロスボディの感覚だけで生きていたのではわからない。

 

 インテグラル理論のケン・ウィルバーは「われわれのなかで心を失っている人は少数である。しかしほとんどの人は、ずっと以前から身体を失っている。」と書いているが、サトルボディやコーザルボディどころではなく、グロスボディの感覚さえ切り離してしまっている人がたくさんいる。つらい、疲れた、眠い、お腹が空いた、暑い、寒いなどなど、感覚を切って何も感じないようにしていた方が仕事がしやすい。しかし、自分の身体の状態を無視していると、適切なケアを与えることができないから、いきなり限界が来てバタッと倒れる。そういう状態にいる人たちは身体を奴隷化しており、モノのように扱う。限界が来て思うように動かなくなると腹を立てる。グロスボディはサトルボディ・コーザルボディの土台となっているので、身体とそのような態度で向き合っているようでは意識の成長も頭打ちになる。「腑に落ちる」という言葉があるが、身体感覚を伴っていなければ、本当に「わかる」状態には至らない。

 

 継続的に私のエネルギーワークを受けている方たちは、大抵そのセッションで集中的にワークするボディが、グロスボディ⇒サトルボディ⇒コーザルボディ⇒グロスボディ⇒サトルボディ⇒コーザルボディ⇒グロスボディ・・・・と周回する。らせんを描きながらエネルギーの周波数がだんだん上昇していく道をたどるわけだ。最初はグロスボディの調整から始まって、何度かセッションを続けてグロスボディの準備ができると、そこを土台としてサトルボディの変容が始まる。その後、しばらくはサトルボディの領域でコーザルボディとのつながりを確立するための変革や再編成が繰り返されていく。そしてコーザルボディを通して非二元の光が差し込み、サトルボディを貫いてグロスボディを光が照らすようになると、再度グロスボディの調整がスタートする。

 

 サトルボディが目覚めてくると、サトルボディの身体感覚を使って、自分の内で動いているエネルギーや、外界のエネルギー、他者のエネルギーを感じられるようになり、それが自身のエネルギー体にどう影響しているもつかめるようになってくる。自分自身の身であるのにサトルボディを体感としてわからないのは、グロスボディに例えるなら植物人間のような状態といえるだろう。サトルボディとコーザルボディが自分の身となって、非二元の光が自身を貫くようになって初めて、自分の本来の身体を取り戻したといえるのではないだろうか。

 

 サトルボディが目覚めたばかりの頃は、サトルボディ感覚のある人たちと一緒にいろいろな場所に行ってどんな感じがするかをお互いにシェアしあい、サトルボディで感じている感覚に言葉を与える作業をすると良いだろう。それによって感覚を拡げていくことができる。昨年、インテグラル仲間と一緒に諏訪大社を訪れた際、地面からすさまじい振動するエネルギーを感じたので、それをみんなに伝えて焦点化させたところ、サトル感覚のある方は「うわー、何ですかこれ! 」と驚いていた。小さい子どもは自分の中に渦巻いている感覚に親から言葉を与えてもらうプロセスを経ることで「これは悲しいという気持ちなのだ」とか「これが悔しいってことなんだ」とか、自分の内部に湧き起っている感覚が何なのかを掴めるようになる。言葉で橋がかけられることによって身体と意識がつながる。このプロセスをすっとばすと、自分の中で何かがモヤモヤしているばかりで、何が起こっているのかを認識することができないということになる。サトルボディの感覚でも同様に言葉で橋をかけて意識とつなげるプロセスが必要だと思う。

 

 先日、師匠と話していて「瞑想して、ヒーリングを受けて、サトルボディ感覚を磨くツアーをやったら面白いだろう」という話になった。数年後、独立開業したらそういうのを企画してみようかなと思う。

Shima * エネルギー * 10:58 * - * - * pookmark

チャレンジとサポート

「悩みを解決するにはチャレンジとサポートが大事だ」と師匠が言っていたが、臨床現場で仕事をしているとクライアントにどのくらいチャレンジする気があるかによって、セッションの内容が深くも浅くもなるのを感じる。クライアントの許容するチャレンジ以上のものを強要したら拷問になってしまうから、セラピスト側はクライアントのチャレンジのレベルに応じたサポートしか提供できない。そのため、同じ50分9720円でもクライアントのチャレンジ度合いに応じて、密度の濃いセッションになることもあれば、のれんに腕押しでさっぱり手ごたえのないセッションになることもある。

 

 人は困らないと成長しない。悩み、問題、身体症状などは、解決を通して人を成長させる。しかし、そのためには問題を生んでいる古い信念を書き換えたり、古い自分を死なせて生まれ変わることさえいとわないようなチャレンジが必要となる。例えていうなら、使い慣れているけれども、古くて使いづらくなったパソコンをポイして、最新のパソコンに移行するときの悩ましさに似ているかもしれない。移行を考えたとき「最新のパソコンなんて使いこなせっこない」「自分には難しすぎる」と腰がひけてしまうが、サポートしてくれる人がいて手伝ってもらえるならば、抵抗なくスムーズに移行することができるだろう。そして移行が済めば、これまでのパソコンではできなかったことができるようになり、世界が拡がる。楽しみが増える。

 

 自分ひとりでできるラインと、誰かのサポートを得ればできるようになるラインとの差は、年齢が進めば進むほど大きくなっていくという。若いころ手伝ってもらってもうまくできなかった事が、今の自分なら適切なサポートによってできるようになっている可能性がある。「大人だから誰の力も借りず何でもひとりでやる」という頑なな姿勢でいると、必要なサポートを利用する人よりも、できないことがだんだん増えていってしまうことになる。

Shima * セラピスト * 15:46 * - * - * pookmark

その先のヒーリング

 師匠との交換セッションで、個人へのヒーリングの先にあるもの、たとえば、世界を癒すとか、宇宙を癒すということについて話した時の私のたわごとをメモしておきたい。私がやっているエネルギーワークは、インテグラル風味を加えてかなりアレンジしたものではあるが、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスがベースとなっており、サムシング・グレート、すなわち万物の叡智にすべてをゆだねてワークを行う。高次の大いなる存在が、私の物質的な身体を器として用い、私の存在を地上界のリソースとして使いながらヒーリングを行うものだ。

 

 この交換セッションの少し前、日本ホリスティック医学協会のシンポジウムで帯津良一先生が「いよいよ大ホリスティック医学の時代の到来だ!」と宣言されておられた。帯津先生のいう大ホリスティック医学の大事な点は「関係性の無限の広がり」にあり、虚空に広がる命を相手としていくというお話だった。また、同シンポジウムで奥健夫先生より、相対性理論のE(エネルギー)=m(質量)×C(光速)の二乗という式に当てはめたとき、50kgの人には10の31乗eVのエネルギーがあり、これは宇宙最大の爆発現象であるガンマ線バーストの10×14乗eVよりも大きいという話があった。人の持つエネルギーはあまりにも大きいため、光でいることができずに物質化しているのだそうだ。

 

 フラクタル構造とは、微細な部分をみたときに、それが全体と同様の構造を持っているものをいう。簡単にいうとミクロの世界のものがマクロの世界のものと同じような構造をしているということだが、我々の身体は小さな宇宙と称される。あるクライアントさんは過去世で宇宙を癒す仕事に従事していたが、今回の人生ではフラクタル構造のより下位の構造に降りて、個人を癒す仕事をしていると話されていた。細胞を癒す、臓器を癒す、人を癒す、社会を癒す、地球を癒す、宇宙を癒す・・・フラクタル構造の下位は上位と、上位は下位と影響し合っているが、どのレイヤーに働きかけたとしても、宇宙を癒していることに違いはない。 人はみな宇宙の一部であり、その細胞のひとつひとつにいたるまで宇宙そのものなのだ。

 

 エネルギーは人の意に従う性質がある。神とか天使などの存在は、そういうものが存在すると信じる人の意に従ってエネルギーが凝集し顕現したものだ。我々は意識によってクリエイションを行うという意味において、エネルギー世界の創造主である。10の31乗eVという途方もないエネルギーが物質化したものである私が、エネルギー世界の創造主であるという意識を持って、宇宙の顕れである何者かに触れて癒す。ヒーリングに先があるとすれば、そういった意識の持ち方が鍵となるように思う。

Shima * ヒーリング * 20:17 * - * - * pookmark

回復力

 100の仕事をするには、当然のことながら100のエネルギーが必要になる。「120の仕事ができるようになりたい」というのであれば、毎日120のエネルギーを仕事に使えるような状態を作るのが先決だ。100しか使えるエネルギーがないのに、毎日120の仕事をしたら、どんどん疲弊していって生命を維持するためのエネルギーまで枯渇してしまう。今よりももっとバリバリ良い仕事がしたいというと、モチベーションを上げる方法や、新しいスキルを身につけることにばかり目がいきがちだが、同時にエネルギーの確保を考えなければなるまい。

 

 ポイントとなることは3つある。ひとつめは省エネ、つまり無駄なことに使っているエネルギーを減らすこと。ふたつめは休息力を高めること。みっつめは栄養補給。

 

 省エネには、ストレスの元となっているものを減らすことが一番だろう。人間関係のストレスはわかりやすいから、意識的に対処しているだろうが、見えない小さなストレスがたくさん降り積もっていることに気づいていない場合がある。例えば、下着の肌触りが悪いとか、靴がきついとか、椅子の座り心地が悪いとか、パソコン画面がまぶしいとか、パソコン画面の位置が低くて首が痛いとか、部屋のにおいが気に喰わないとか、自分のテイストに合わないインテリアが置いてあるとか・・・・ひとつひとつは小さなことだが、日常的にそういうものに触れることでサンドペーパーのように身を削られる。こういう見えないストレスに意外とエネルギーをむしりとられている。他にもルーティーンになっている無駄なことは見直しが必要だ。テレビやゲーム、SNS、LINEなど、メディア依存症になっていないだろうか?

 

 日本人は「休んでいる」ことを「なまけている」と捉えてしまい、眠るとき以外、意識的に休むということをしない人も多いのだが、身体も脳も休憩をはさむことで、より良いアクションができるようになる。仕事をするときは仕事をし、リラックスする時はしっかりリラックスして休憩する。活動を司る交感神経とリラックスを司る副交感神経のふり幅が大きいほど、ストレス耐性も強まる。そして、休息には何といっても睡眠が大事だ。睡眠中、脳内で情報が取捨選択され、無駄なものは消され、必要なものは記憶に定着する。このプロセスをしっかり行うだけの十分な深い睡眠が得られないと、脳機能は低下する。ホルモンバランスもくずれ、身体のホメオスタシスに異常が生じて燃費が悪くなる。カフェインやアルコール、光刺激、生活リズム、寝室の環境などを統制することで、良質の睡眠を得る工夫が必要だ。

 

 栄養補給で大事なのは、腸に負担をかけないことと、脳が必要とする栄養を十分に摂ること。腸に負担をかけないためには、自分の体が苦手とする食物を減らすこと(遅延型アレルギー検査や血液栄養検査でチェックできる)、よく噛んで食べること、消化しやすい時間帯に食事をすることなどがあげられる。就寝直前にお腹いっぱい食べたりすると、睡眠時に腸と脳で血液の取り合いになって、睡眠の質が下がってしまう。栄養素については人によってかなりバラつきがあるので、O−リングテストなどでチェックして自分に足りないものを補給してやると良い。「食べ物を変えれば脳が変わる」生田 哲 (PHP新書)で紹介されている実験では、マルチビタミンとマルチミネラルを8か月間投与された子どもの非言語IQが約10ポイントも上昇していたそうだ。私もいろいろなサプリメントでドーピングして試した(笑)が、脳が欲しがるものを供給することで確かに頭の中がクリアになって脳の働きがアップするようだ。Amazonなどの通販でセロトニンの原料となるトリプトファンのサプリメントなんてのも手に入るので、私と同じような根暗タイプの人は精神安定のために飲んでみてもいいかもしれない。

Shima * エネルギー * 19:40 * - * - * pookmark

安全基地とIWM

 心理学用語で安全基地(secure base)というのがある。乳幼児期、養育者との関係性の中で安定した愛着(attachment)が形成され「私はいかにあろうとも受け入れられ愛される」という確信が得られると、外界に対する信頼と自分に対する信頼(基本的信頼感)が生まれ、揺らぎの少ない安心感を持って生きていけるようになる。子どもは養育者を安全基地として外の世界へと探索に出かけ、怖い目にあったら安全基地に戻って傷を癒し、外の世界に立ち向かっていくさらなる力を得る。安全基地としての養育者は徐々に内在化して物理的に存在する必要がなくなっていくが、その過程でライナスの毛布のように自分に安心安全な感覚をもたらすものを安全基地代わりにすることもよくある。大人になってお守りやパワーストーンを身に着けたりするのも、この感覚のなごりかもしれない。

 

 安全基地ができるのと並行して、自分と外界をどうとらえ、どう反応するのが適切かを判断する内的作業モデル(Internal Working Model:IWM)が作られる。適切な愛着の形成がなされなかった場合、往々にして不適切なIWMが作られてしまい、大人になって社会に出てから生きづらささや対人関係の難しさに苦しむことが多い。

 

 「待機児童をゼロ」が声高に叫ばれ、乳幼児を持つ母が仕事に駆り出されるのが当たり前になってきている日本社会では、母子密着の時間を充分に持つことが軽視されている。こんな状態で適切な愛着が形成できるだろうかと危惧してしまう。TVのコメンテーターが「子どもとふたりきりで家に閉じ込められるかわいそうな母親を減らすために、早急に対応する必要がある」などと言っていたのを聞いたが、発達早期に母子を引き離すことはホスピタリズムやマターナルデプリベーション(母性剥奪)と紙一重に思える。物理的な栄養はもらえても、愛情という心の栄養を充分に与えてもらえなかった子どもは、大きくなってから育ちそびれた部分に苦しむことになる。

※ ホスピタリズム(hospitalism):乳幼児期に長期に渡って親から離され、施設に預けられることで心身の成長に遅れや障害が出ること

※マターナルデプリベーション(maternal deprivation):養育者から愛情に満ちたケアを十分受けられなかった子どもに心身の発達の遅れが出ること

 

 内的作業モデルは「人生の生き方の指針」のような働きをするようになっていくが、幼少期の養育環境にあわせて作られるため、成長に伴い、更新することが必要となる。私はセラピストとして、古いIWMに縛られて生きにくくなっているクライアントの呪縛を解く援助をすることがあるが、乳幼児期、9歳の壁といわれる時期、10代後半〜20代前半のアイデンティティが形成される時期に退行して書き換えが行われる場合が多いように思う。逆をいえば、IWMが更新されるその時期をどう過ごすかが人生の鍵となっていると考えられる。

 

 クライアントがIWMを書き換えるとき、セラピストは絶対に揺らがない安全基地を提供する必要がある。クライアントが傷ついた心と体を休ませ、癒し、英気を養うために帰れる場所、ヨロイを脱ぎ捨てて丸裸になっても大丈夫な場所。ここを足場としてクライアントは超えられなかった壁をよじのぼって超え、その先の、未知の世界へと活動できるフィールドを拡げていく。 

Shima * Life * 08:59 * - * - * pookmark

ジグソーバズル

 ジグソーバズルはひとつでもピースが欠けていたら完成しない。ワンネスは全であり、自分の中のたったひとつのピースが欠けてもそこには至れない。

 

 私たちは子どもの頃、人間関係に適応するために、不適切といわれる感情を抑圧し、切り離す。また、成長過程でショッキングな出来事があった時、心が砕け散るが、十分な時間をとらずに無理に前に進むと、傷ついた一部が置き去りにされる。そのようにして失われたピースがある限り「私」は完成しない。

 

 幼少期の養育者との関係やトラウマによって失われたピースを自分ひとりで掘り起こすことは難しい。最近、交換セッションでエネルギーワークを受けていると、まだ言葉を話せない0〜3歳頃のこと、つまり言葉を使ったセッションではアプローチすることが難しい時代のトラウマを解放するプロセスに入り込むようになった。何が起こっているのかつかむことができないのだが、ただただ感情が動いて涙が流れる。身体に刻まれた感情記憶というものだろう。しかし、その時の想いが今の私の対人姿勢の元になっていることはわかる。このプロセスを通して私は私の一部を取り戻すのだろう。

Shima * Life * 13:12 * - * - * pookmark
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